*「ダラ」 ソロの夢*
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=====ソロの夢・1=====

─旅のノートから(日付不明)─


茂呂(*地名)の家に帰った。

妹と台所で冷凍庫の氷を開けながら

「どうして、手紙くれなかったの?」

と聞きたくて聞けなかった。

お母さんがいる。

お母さんとお父さんの部屋に

お母さんがいる。

そうだ、何度も夢に騙されて来たのだ。

夢はたくみに私が家に帰ったと見せかけて

思い込んでいるのに──、

目が覚めればいつも宿の寝台の上。

時には、

二重の夢をみせたりして

夢は、

私を翻弄し続けて来たのだ。

私は、その夢の胎内(はら)の中で、

茂呂の家の、お母さんとお父さんの部屋で──

100万年の昔の事を思い出す様に、

「私は本当は何処にいるのか」を

思い出そうとする。

頭が重くなって、深い霧がこんとんと渦巻いている。

一光が差し、"現在"を思い出す。

私は、ジャカルタの古都、ソロの朽ち果てた王宮に、

くもの巣の張る、さびれた寝台の上に、

いるはずだ!

鬼の首を取ったが如く、

私は高らかに勝利を実感する。

「もう騙されない。」

私は夢に打ち勝ったのだ。

初めて!

するとお母さんは私の眉間をひた見て

「お前は死んだんだよ」

という。

「お前は死んだんだよ」

「だから飛行機代もかからず

一夜にして、茂呂の家に、

帰ってこれたのだ。」

又、お母さんは

「死体は明日、飛行機で送られて来る。」

とも云った。

頭の中(うち)と外を一瞬白い"モノ"に支配され

目、鼻、口、耳、全て活動を停止した。

「ああ、そうなのか。」

ショックだったけれど割にスナオに受け入れられた。

「死」とは、もっともっともっと

おそろしく、

苦しいものと思っていたのに。

こんなに簡単でかえって得した様な気もした。

もう、現在も、現実の概念も無かった。

時間と空間とが、少しぐるぐるしたけれど、

私にはもう、なんの区別も付かない。


目が覚めてからも、

それは同じだった。

「だいたい、お母さんは、もう、茂呂の家に居るはずないのに。」

と気付いても、

尚、それは同じだった。


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=====ソロの夢・2=====
 外に出ると、ソロの街は夕暮れで、人々はせわしなく、でものんびりと交差していた。

──赤茶色の空気、赤茶色の風景、行き交うベチャ──

その往来を呆然と歩く私の足下の地面が、だんだんと盛り上がってきた。辺りはスローモーションで音もなく動いている。

やっぱり赤茶色のおんなたちのバティックの裾が、ゆっくりと、至極ゆっくりと、水たまりのプリズムみたく、マーブル模様を描いて溶け込んで行く様に、はためいている。

これも、夢なのかしら・・・。自分のカラダをもう1人の自分が見ている様な感覚──。

その内に、私は上と下とが判らなくなってしまった。

私の目玉には、只、埃色の風景がゆがんだり、かしいだりしていた。

 私は、空気に抱かれているんだか、盛り上がってすっかり丸くなってしまった大地に倒れ込んでいるんだかすらも、もう区別がつかなくなってしまった。

私の白い腕の向こうで、溶けながらはためく、おんなたちのバティック・・・

 それからどうしたのか、よく覚えていない。何か叫んだ様な気もするし、叫んでなんか、いないような気もするし。

 旅の師匠の話では、どうやら私は小便を垂れ流して倒れていたらしいのだが。


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=====ソロの夢・3=====
旅を始めて半年。

私は横浜→上海→香港→中国→香港→タイ→マレーシア→シンガポール→インドネシアとユーラシアを這いずるように移動して来た。

そして今はここ、ソロという都の朽ち果てた王宮に身を寄せている。

この王宮はもう、治める主人も無く荒れるがままになっていながら流行らない宿屋になっている。

銭湯みたいに大きなマンディーの水溜にはゴミや砂と一緒に無数のボウフラが浮き、部屋には蜘蛛の巣が張り、壁は落ちている。元王宮とは名ばかりの哀しい廃墟だ。客は私達以外ない。

その王宮のキズのひとつひとつが、尚も私をかなしくさせる。

ソロに来てからというもの、こころも、からだも、ぼんやりと重たい。夢ばかりみているせいなのか。まるで自分の手や足が自分の躰についてないみたいに、動作のひとつひとつはとてもゆっくりで大義なのに、きもちは悪い胸騒ぎみたいに意味もなくあせってばかりいる。

今、「私」という者を証明するものは、何も、無い。

勤める会社も、通う学校も、帰る家も、電話する友達も、銀行の通帳も、何も。只、申し訳程度に赤い旅券があるにはあるが、それだってあやしいもの。

何の肩書きもないこと、只それだけのことが、どうしてこんなにも苦しいのか。

(そういえばイギリスの失業者の研究で、失業は自我崩壊を招くとかいうのがあったなァ)

皮肉に美しい王宮の庭を眺めながら、又私はうらうらと夢とも思い出とも考え事ともつかない記憶をたどっていった・・・。

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=====用語解説=====
ソロ:インドネシア・ジャワ島の古都とされている都市。
ベチャ:人力車の事。マレー語の通称。
バティック:日本で言う所のろうけつ染め。ソロはトゥリスと呼ばれる手法のバティックの産地として有名。この方法で染めたサロンと呼ばれる布を腰に巻き付けてスカートの様に着用するのがインドネシアの正装。ちなみに男性も女性もはく。ソロでは茶色をベースにした渋くて粋なバティックのサロンが主流だった。
マンディー:トイレ兼風呂。現地の人はトイレの後は水を使い、又風呂の代わりに水浴びをする。その為の所。トイレと風呂が分かれている場合もある。

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