*田舎の女子高あれやこれや−冬の風物詩−*
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さっむいですね〜・・・

こう寒いと思い出すのですが・・・
(ここから田舎のある女子高の実態が延々とつづられています。ご興味がない方はミソまでショートカット出来ます。)

ワタシが通っていた高校は、田舎のすごく小さな県立女子高でおまけにビンボーでした。どの位ビンボーかというと、夏、雨が降るとプール開きをしてまだ一度しかプールを使ってないのに水を取り替える予算がないからという理由でプールを閉鎖してしまう位ビンボーでした。

当然、予餞会や文化祭に芸能人など来るはずもなく「手作りの予餞会」「手作りの文化祭」とかなんでもかんでも「手作りの・・・」でごまかされていました。

合宿設備はあるにはあるのですが体育館の屋根裏です。そこに大正時代から使っているのではないか(歴史だけは古い)という様な小さなせんべい布団を敷き詰めて寝ます。合宿をする前はまずそのせんべい布団を干す所から始めなければなりませんでした。

そんなですから当然校舎の方も自然冷暖房完備。夏は暑く冬はしばれる。エアコンなど夢の又夢。夏は制服が極端に涼しいカタチになり(オーバーブラウスといって丁度セーラー服が前開きになったカンジで、襟が普通の襟でボタンが3つしかなく、かがむと背中が丸見えでした。でも女子高なので全然OKでしたけど。)冬は申し訳程度に石油ストーブが設置されました・・・が全然あったかくないのでみんなスカートの下にヂャージを履いていました。俗に言うハニワ状態です。

ハニワと言えばウチの高校には変な校則があって、お掃除の時間は制服の下だけ脱いでジャージに履き替えねばなりませんでした。上はブラウスに黒のベストなのに下はえんじのヂャージ・・・戦時中のもんぺのなごりか?!サスガに若い乙女には抵抗があって、だがしかし抵抗し切るのもどうかというコトでみなこのハニワ・スタイルを愛用していました・・・がコレは立派に校則違反で、取り締まりの対象になっていました。

横道にそれましたが、まぁ、とにかく冬は寒いのでみなハニワでした。冬(そこまで)寒い原因の一つに上履きが便所スリッパというコトがありました。いえいえ、本当にトイレの草履というワケではなく、よく公民館のトイレに置いてある様なビニール製のサンダルだったのです。

いわゆるふつーの上履き(布製で先っぽにゴムがついていて足の甲にゴムバンドがあるやつ)はダンスシューズと呼ばれていて、文字通りダンスの時間に着用していたのです。なんでも男子校には柔道の時間があるそうで、その代わりにウチの高校にはダンスがあったのです。

んでそのサンダルがまた冬寒い!足元が冷えるとやっぱり女の子は全身寒いのです。このサンダル廃止を巡って諸先輩方の時代から、それこそ何年間も生徒総会を通じて生徒は運動を繰り広げて来ましたが、学校側がナゼか毎年却下。

ウチの高校は生徒会の力が強く、なにしろ(国体開催の都合で)県がその年はやっちゃいかんと言っているその年に(2年間運動をし続け)無理矢理文化祭を強行してしまった位ですから気に入らない校則なぞは自分たちでどんどん変えて行けたのです。

ワタシが在籍していた3年間も生徒達はそのサンダルを巡って熱き戦いを繰り広げていました・・・が、学校そのものが県を敵に回すような文化祭強行案は通ったのにサンダル廃止(とか冬季限定自由化とか様々な運動があった)はナゼかがんとして学校側が受け付けなかったのです。へんなの。ナニかあるのか・・・?!(でも一体ナニが???)

そんなワケで冬は寒かったっす。あれ?本線はなんだったっけ?ああ、そうだストーブだ。

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そんなしばれる冬の4時間目の終わり頃、後ろの席からこっそりと「ね、ね、コレ入れて。」とKちゃんからそれは廻って来ました。内緒の手紙?試験の答案?違います。ちなみに、いかがわしいものではありません。

それは、カレ〜

ブツは密やかな驚きとともに速やかにストーブ手前の席の子までリレーされ、そして最後の子はストーブの上にのせてあるタライにカレーの袋をじゃぽんと(でも先生に見つからない様細心の注意を払いつつ)Kちゃんの為に入れて上げます。

サスガにコレは大流行・・・ってワケではなかったけれど「お昼にレトルトカレー」はその後ごく少数の方に愛用され、カレーリレーは冬の風物詩となったのでした。

寒い日にはこの、現国の時間に初めてク○レカレーが廻って来た時の衝撃を思い出します。