*わが家のお正月−民俗学的日常生活−
(メールマガジンでお届けに上がる商品のほんの一例です。)

*このお話は、以前別のHPで日記を毎日公開していた時、
1999年3月18日に掲載したモノです。*


 天然モノ1つ、養殖モノ2つを確実に育てている(3月25日現在)NEKOです。何を育ててるかって?モチロン、アレです。

 あ〜又生理がやってくる。
嗚呼、気が重い。

 ウチはみんな生理が重くて、生理になるとみんなで学校も仕事も休んでおクスリをしこたま飲んで、寝て過ごします。はぁ。

 (誰か、ここのページに投稿してくれないかな〜そしたら生理休暇にするのにな。^^;)

 ワタシは、寒いのがダメで、一年のウチ、364日位「冬は(もしくは冬になると)嫌だなぁ〜」とオモっています。

 んで、生理も嫌で、一ヶ月に30日位は「生理は(もしくは生理になると)嫌だな〜」とオモって過ごしています。

 以前、友人にこの様に言ったトコロ、「じゃ、(この二つをあわせて嫌だと思わないで)残る一日はなんなの?」と聞かれ「ん〜正月。」と答えました。はは。(←チカラ無い笑い)
(でもさ〜「四季」とかいうけど、その3/4は寒いじゃん?)

 正月といえば、ウチの正月は田舎のせいか、年寄りがいるせいか、まるっきり柳田國男(漢字コレでよかった??)の世界。
-----
 まず、年末には大掃除、お節の用意と続き、モチロン障子貼りなども、(そうそう、我が家は季節でふすまも取り替えるのよ。)シメナワなんかも買ったなぁ。花札や、「とっこ」(知ってる?こんなヤツ)なんかも点検して、んで、大晦日はレコ大→紅白→ゆく年来る年となり、だいたい“ゆく年来る年”のタイトルを見るか見ないかで有志が神社に初詣にゆく。と。神社はモチロン、地元の自分が氏子のトコのね。(^_^;)


 んで、ちょっと寝て、元旦は朝風呂に入って、八百万の神様に榊とお灯明と神様用のお雑煮をあげて、一家全員、みんなで着物着て(女子どもは、妹のを母が、母のをワタシが、ワタシのを祖母がってな具合に“ジェンカ”みたいに連なって帯絞めたりして。)、神棚→玄関の神様→機神様→台所の神様→井戸の神様→おこんこん様→お風呂場の神様→トイレの神様→二階に上がって、二階の二部屋の各神様→トイレの神様→洗面台の神様と柏手を打ち、仏壇に、お線香上げて手を合わせる、と。(忘れてるトコロないかな〜^^;)

 んで、みんなで応接間(とウチの者は呼んでいるが実際は居間)に勢揃いして、家長(今は父)が「明けまして、おめでとうございます」かなんか言って、女子どもがそれに続いて「あけましておめでとうございます」なんていって、仰々しい、朱塗りのおとそセットでおとそを酌み交わし、お雑煮を食べ、お節をつまむ・・・と。

 何年か前、元旦に友達を連れて来たことがあって、その時のコトを彼女は「ちはるちゃんちで“お正月”をやった」と言ったのはちょっと印象に残ってる(^^)またその何年か前はワタシが又別の友達の家で年越しをして、そのあまりに「ふだんと変わらない」元旦ぶりに、朝ご飯もフツーの「朝ご飯」で、缶詰のコーンなんかが出てて、すっごくびっくりしたのを覚えている。

 そんなワケでま、正月に限らず伝統的日本の年中行事はキチンとやる我が家であるが、(結構タイヘン)今年の元旦は、ちょっとチガった。

 イ○ーヨーカ堂に勤める母は、年末年始といえどもお休みが変わるわけではなく、通常の火・金であった為、ゆっくり正月の準備など出来るハズもなく、でも、結構お節なんか用意して彼女は頑張っていたのだが、いかに元旦が休みといえど(元旦は偶然にも金曜日だった)サスガに31日まで働いていて、2日以降も仕事とあれば、「一年でたった一日のハレの日」と言うよりは、「いつもの休み」というムードが漂っている。

 イ○ーヨーカ堂と言えば、その前の正月までは、地元の商工会の反対に阻まれて、元旦営業は出来なかったのだが、今回からはやっと解禁になったらしい。従業員とその家族にしてみればメイワクなハナシなのだが。

 そんな「フツーの日ムード」にほだされて?かこつけて?ワタシも今年の正月は、元旦の昼過ぎ頃実家に着く、といった異例の「正月」の参加の仕方をしたのだが。

-----
 年中行事−我が家では、元旦、七草、節分、お雛様、お彼岸、菖蒲湯(端午の節句)七夕、お盆、十五夜、十三夜、冬至、恵比寿様、お酉様、だるま市、・・・位はやっていましたが、みなさんのお宅ではどうですか?

 ・・・・・そういえば、お酉様とだるま市は今年(1998年)は行かなかったって言ってたな・・・家長である父は夜勤、(次期家長の)ワタシは宿無しだもんね。

 自分がそんなコトしといてナンだが、やっぱり勤め人とか核家族とかって、年中行事をやらなくなるね。

 ・・・・・なんか、それも寂しいな。