◆ フ ク ダ カ ズ コ ◆
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ちょっと前にフクダカズコという人が裁判にかけられた。
日本初のお礼金制度とかいって、要するに賞金首にされて時効寸前にタイホされた、あの人だ。 彼女がタイホされた当時は、ビールビンの指紋をひそかに取ったという彼女の「行きつけの」飲み屋のご夫婦が、その捕り物の一部始終を、スリリングに、しかも大々大得意気に話している様子が連日昼間のワイドショーで流れた。 それを見ながらワタシは「なんてヒドイ話しだ」と思った。 どんなにヒドイ人でも、「行きつけ」の仲良くしていた人なら、そんな影でコソコソと証拠を提出したりはせずに、自首を促してやれば良かったのに、「ヒドイ話しだ。」と。 しかも彼女はその店のご夫婦に「私がフクダカズコだって思ってる?」と何度も聞いていた、というのだ。だったらその時に「うん、正直そうじゃないかと思ってるよ。あのね、申し訳ないけれど、もしもそうなら自首する気はないの?もし良かったら私、一緒に(警察まで)ついていこうか?」と言うのが人の情というのでは無いか。それともそんなの只の欺瞞なのか? まぁ、よしんばそれが欺瞞だとしてもだ、カネ欲しさにやってしまった事について、それを自慢そうに話し、話した話しを又わいのわいのとみんなで面白がるなんて、どこかに何かを忘れてきてしまっている。 ・・・とまぁ、ずっとそう思っていたのだ。あたちは。 ところが、そのフクダカズコという人は、最近逃亡中の手記を出版した。それはまぁ、マスコミに踊らされてた、ってトコロもあったろうから、良くない気もするがまぁいいとして、何より私がオドロイタのは、裁判中、彼女は裁判長に向かって「逃亡中、私は逃げ延びるためにしかたなくカラダを売った。カラダを売る、という事がどんなに屈辱的で心も体も傷つく事か貴男にわかりますか」という様な事を言いつつ、なんと情状酌量、減刑をかなり強く訴えたというのだ。 これにはあきれてしまった。それは例え弁護士に言わされていたとしても、全く以て何かが狂ってしまっている。 もしかしたら、(考えたく無いけど)フクダカズコという人はあの時逮捕されなかったら、どろんと消えて時効をやり過ごし、その後の人生は自分の中で自分の罪なんか無かった事になってしまって、悠々自適に暮らしたんでは無いだろうか・・・? そしてその暮らしの中でも自分に対して著しく思わしくない人物が現れたとしたら・・・? ひょっとしてもう一度・・・? チクった人たちはなんとなく彼女の雰囲気からそんな事を察したのだろうか・・・?だから・・・? もしかしたら私の言う通り自首を促したりしていたら、そうするウチにぺろんちょ、と舌を出されてしまう結果になっていたのだろうか。 でも、やっぱりどんな人にでもどんな状況でも、まず騙したりせず、理に、知に、情に、心から訴えるべきではないのだろうか? それともそんな事はやっぱりどうしたってキレイゴトでしかないんでしょうかね・・・? |
◆ 改築記念 02月09日〜15日 1999 ◆
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