* 『「神秘珍珍ニコニコ園」リベンジ・ツアー』その全貌 *
(メールマガジンでお届けに上がる商品のほんの一例です。)
メールマガジンの方に参加を呼びかけた「神秘珍珍ニコニコ園」リベンジ・ツアー』(2000年、2月20日施行)のレポートです。
ちなみに、ワタシの「神秘珍珍ニコニコ園」初体験はこちら→『「神秘珍珍ニコニコ園」緊急リポート』です。

*尚、参加して下さったみなさまの感想文集はこちらです。



『「神秘珍珍ニコニコ園」リベンジ・ツアー』その全貌
----- 前 フ リ ------

いや〜(^▽^)行って参りましたよ〜2月20日の『「神秘珍珍ニコニコ園」リベンジ・ツアー』。

当日は大雪警報とか出てて、決行か否かですごくばたばたしましたが・・・結局雪らしい雪はふらず、寒さも思った程ではなく(にしても冷えたですが(^_^;))じきにお天道様も顔を出して、なかなかによかったです。

遠方から来て下さった方、又泊まりがけで来て下さった方までいて本当に嬉しかったです。どうもありがとうございましたm(_ _)m。

----- 集合地点にて------

さて当日、ワタシと彼が高坂の改札を抜けると駅の階段の踊り場で、なにやら例の看板を見つつたたずむ若人が・・・(もしやツアーに参加してくれる人かも?!)と思いつつも、「あの〜“神秘珍珍ニコニコ園”行く方ですよね?!」などと全然関係無い人にうっかり言ってしまった日には!!自分がまるっきり不信人物なので、うつむきがちにその人の前を通り過ぎていざ、看板の前へ。

するとやっぱり先ほどの人がやって来て、お互いに「そうじゃないかと思った!」と言い合いご挨拶m(_ _)m。彼は「どんな集まりでも必ず集合時間よりも早く着いてその周辺を確かめないと気が済まない」のだそうだが、一体、いつも何を確認しているのか。ひょっとして現場(「神秘珍珍ニコニコ園」)も偵察済みなのではあるまいか。

次々と3人の方にお集まり頂き、その3人を『レッド班』に任命、いざ、という時各自の安全を確保する為の武器(プラスティック爆弾玉鉄砲)及び暖房器具(使い捨てカイロ)を授与する。その際、『ブルー班』のマツモト(ワタシの彼。ちなみに『ブルー班』は彼とワタシだけで特別に設置された、いわば『ツアーご案内係』である。)が食料までも配給しようとした為、いましめる。

「おやつはおやつの時間にですよっ!!」

そして各自点呼を取り(自己紹介して頂き)、目標(例の看板)の前で記録写真(記念撮影)を撮る。『扇』を命じた筈なのに、『レッド班』はまだまだ動きが固い。(写真はこちら)


そうこうしているウチに、我が『ブルー班』のせっかちで有名なマツモトが「もぉ、行こうよ〜」等と間の抜けた声を出す。皆もそこはかとなく手持ちぶさたな雰囲気だ。(貴様!何を言うのだ。今日は大雪警報で集合が送れているのだ。最低30分は待ってみるのが道理だろう!)と言いたいのをこらえて、「もう少し、ん〜あと10分位待ってもいいですか?」と皆にお願いしつつこんなこともあろうかとあらかじめ用意しておいた袖の下(「ポリバルーン」=セメダインみたいなシャボン玉見たいな駄おもちゃ)を一人一人にそっと手渡した。

----- 出 立 ------

しばらくすると、下り電車が駅に着き、やがてもうお一方が走って合流してくれた。その方は開口一番、「あの〜今日は何時くらいに終わるんでしょうか?俺、3時には戻って来たいんすけど」と言った。

結局その方を最後の一人と考え、『イエロー班』に任命(一人だけど)、武器(銀玉プラ玉鉄砲)、暖房器具(使い捨てカイロ)の授与ならびに記録写真撮影(記念撮影)後、「きっと来たい人は自力でもくるよ」という皆の声を尊重し、結局30分は待たずに出発する。(写真はこちら)

そして全員で神経を研ぎ澄ませ、ダウジングしながら進む。かつてワタシがダウジングした地点で『レッド班』の一人(以下「『レッド班』1/3」さん)が「神秘珍珍ニコニコ園」からと思われる怪電波をキャッチ。『ブルー班』を唸らせる。

やがて視界が開け、一面の田圃道が広がる。(うえ〜)(おいおいマジかよ〜)(地平線みえそうだ〜)などとという声にならないため息にまじり、「え?ここを行くんですか?!」とか「まだまだ歩くんですか?!」等という声も上がり、自然皆早足に。足の短いワタシは息をきらせて「もぉちょっとゆっくり行こうよ〜」と声を掛けた。

「そら、この道を見たら誰でも早足になるよ〜」というマツモトのツッコミを聞き、皆の足が止まり、顔と顔を見合わせて笑った。

それからたまに暴走車両(1本道の農道の為、みな地元民はすごいスピードで駆け抜けて行くのだ)をよけつつ、入場料の説明なぞしながら前進した。

----- 外 園 ------

やがて例のペットの文字と共に現場に到着。

まずは「神秘珍珍ニコニコ外園」を皆各々おそるおそる侵入、探索。

ワタシは2度目なので余裕だ。ウソ。やっぱり怖かった。
順路の最後の方で、数ある切り株とトタンのオブジェ(?)の一つが、

ネーママア
     アタイにチンコ
      マダ出ない

ママが云ふ
     には

その中
   見られる


に書き変わっていた。
以前見た時は、確か最後の一節が

「そのうち
     出てくる」


だったのに。

一見無秩序に只ぶちまかれているだけの様なこの『外園』のオブジェ(?)群も、きちんと定期的に手が加えられているコトを発見。マツモトと

「更新されてるよ〜ホームページみたいだ〜」

等と感心する。

----- 突 入 ------

いよいよ本館に入ろうと、入り口(見かけは田舎のよくある農家の門にアレな看板がいっぱい付いている状態)にたたずむと、なんと喪服を着たおじさんが中に入っていた。

困惑する『ブルー班』

一応『ツアーご案内係』である『ブルー班』だったが、ワタシもマツモトも『よもやあの空間に自分たち以外の人間がいる』等と言うことは予想だにせず、困惑し切って固まってしまった。

「あの人、喪服だったよねぇ・・・」

ワタシは、これはよもや只ゴトじゃない事態が本館内部で起こっているのでは?!と懸念して問いかけたのだが、『レッド班』の一人(待ち合わせには必ず先回りして確認を取るという人、以下「『レッド班』2/3」さん)が「え〜?そうだったぁ〜?」と全く意に介さないご様子で言い放った。(そういうコトは気にならんの(;▽;)?!)

そうこうしているウチに、またちらっと先ほどの男性が見えたので、

「ほらやっぱ喪服じゃん!黒いネクタイだったよ!」
と言うと先ほどの「『レッド班』2/3」さんが又、おっしゃる。
「え〜そうだったぁ〜違うんじゃないのぉ〜。」

むむむむ〜・・・

固まる『ブルー班』をよそに、『レッド班』が本館に(ワクワクと)突入開始。(ぎえ〜)←もう半分逃げ腰だった『ブルー班』こころの叫び。

----- 本 館 ------

本館を各自うろうろ。

前回、あまりの怖さに引き返してしまった『休憩所』の前でまたもや固まる『ブルー班』。この『休憩所』は、おそらくこの地でMAX恐ろしい所だと思う。「何で休憩所が怖いんや」と関西弁で問われても、ワタシ達は口をつぐむ他無い。ともかくこあい。

『ブルー班』の徒ならぬ雰囲気を察してか、皆もそこにとどまっていた。すると『レッド班』の一人、「『レッド班』1/3」さん(来る途中「神秘珍珍ニコニコ園」をダウジングした人)が何気に休憩所内部に!!

「おぉ〜っすげ〜っ!!!」その時、『ブルー班』はこころから、腹の底から彼を尊敬した。羨望のまなざしで彼を見送りつつ、後に従う『ブルー班』。『ツアーご案内係』なのにも関わらず、その姿はしょっぱい。

『休憩所』に入ると、先ほどの喪服のオジサンがソファにゆっくりと腰掛け、先発していたレッド班及びマツモトに何か話してくれていた。ワタシはそのオジサンの恰幅の良さといい、ダブルのスーツの腹の出し方といい、髪型といい、つやつやとした額といい、ゴルゴみたいな眉&目といい、そのそばのほくろといい、一目全貌を見るなりコンマ3秒で「モノホンのシト!!」という直感にも似た印象を受け、へらへら笑いながらそのオッサンの前を足早に通り過ぎて行こうとした。

そそくさと『休憩所』内部を通り抜け入り口と反対側にある出口のドアを出ようとした、その瞬間!!喪服のオジサンとは又別の、ナゾのオジサンに遭遇。

そのオッサンは、もうおじいさんに近くて、まるで丸い輪っかに鍵をじゃらじゃらつけて曲がった腰に拳を当てながら、もう一方の手は蝋燭を持って地下に続く長い長い螺旋階段を下りて行ったら似合いそうな、小柄なオッサンだった。でも正体はナゾ。おどおどしていて、でもこの館の関係者なのか否かも判別不可能だ。

『休憩所』を抜けると左前方に『昇天堂』、後方には何のへんてつも無い民家が見える。前回はその民家からTVの音がもれていて(嗚呼、この中では何のへんてつもない平和な日曜の昼下がりが存在しているのだな〜)と思い、それが何故だかほのぼのとした雰囲気とパラレルに例えようも無い不気味さとをかもし出していたのだが、今回は更に不吉な音が。

ボイラーの様な、ともかく何かを盛大に燃やしているゴーッという音が聞こえて来る。音の聞こえる受付の方までまわってみると、巨大な石焼きイモを焼くカプセルの様なモノが・・・

----- 田 園 の 部 ------

いよいよ、本館のプレハブ群(の中にはそれぞれオブジェ?が格納されています。)を抜け、て『田園の部』へ。

前回、本館エリア内の『休憩所』で逃げ出してしまった『ブルー班』にとっても未踏の地。

『田園の部』についてはマツモトが書いたモノがワリに解りやすくスッキリまとまっているのでそれを引用します。
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■解説■
 本館の丁度裏手、プレハブエリアを抜け、農道を渡った所にあるのが「田園の部」です。ここは全ての作品がプレハブに入れられて、それぞれテーマごとにまとまっています。プレハブが狭い道(?)の両側にあり、更に、先は行き止まりになっているので、追い込まれたら逃げられません。注意してください。

 ここには第2休憩所があって、先人たちの残していった数々のコメントを読むことが出来ます。どんつきにある、少し大きめのプレハブで神秘珍々ニコニコ園は終わりとなっています。中には、関係者のオヤジが言う※ところに、「エッチなもの」があったりします。カオスです。オカズじゃないです。
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※注:例の喪服のオヤジに『休憩所』で「最後にエッチなのもあるよ。」という説明があったそうです。

----- 禊 ------

全てを堪能したワタシ達は、入り口の前に集まり点呼を取り退却した。

歩き初めて間もなく、別の任務(ある意味本当に別の任務)につくべく『イエロー班』が離脱、任務遂行の為、食料(「なかよしバラエティパック」=駄菓子の詰め合わせ)・と武器(プラ玉鉄砲)を配給。『レッド班』『ブルー班』は右手に折れて近くの公園へ。

公園までの道すがら、本道を見ると先ほど離脱した『イエロー班』が一人歩きながら食料を開けたり武器をみだりに発砲したりするのを確認。手を振ったが気付かれず。

公園に到着すると、そこに設置されている水道で禊をする。顔までざぶざぶ洗ったワタシが「たおる〜たおる〜」としたたりながら叫んでいると、『レッド班』の一人(以下「『レッド班』3/3」さん)がバッグから本当にタオルを出してワタシに差し出してくれた。天使の微笑み(;▽;)。感激。

禊後は、公園に設置されているテーブルについて反省会(座談会というか一服)。それまで温存してきた食料を全て(「なかよしバラエティパック」、「ばかウケ」「都昆布」、「チーズっぷり」など)テーブルに開ける。

テーブルについてふと辺りを見ると、イス代わりなのかその公園内には所々に切り株があり、それが何故かアレなモノに見えてくる。これがかの有名な『「神秘珍珍ニコニコ園」体験後症候群W型ルビンの壺』である。

----- お ひ ら き ------

帰り、一同坂戸の街で食事を摂るコトに。
とりあえず駅前で店を探そうと一同駅へ。

・・・皆全員無事に東口の例の看板の所まで戻って来た。『ツアーご案内係』としては感無量である。思わずTDLの「ジャングルクルーズ」のお姉さんやユニバーサル・スタジオにある「ジョーズ」のお姉さんになって、「みんな、ワタシ達、助かったのよぉ〜ッ!無事に帰って来たんだわ〜ッ!」とオーバーアクションで感極まりたい位だった。(ワタシを始め、メンバー一同お疲れのご様子だったのでやらなかったが。)

来る時と同じ看板なのに、行く時とは又違った想いで各自がその看板を見上げる。「神秘珍珍ニコニコ園」を体験したモノだけが持つ、特有の時間である。

西口にまわり、店を探す。と言ってもラーメン屋と「モスバーガー」の二者択一だ。「『レッド班』3/3」さん(タオルを貸してくれた人)の

「駅前のラーメン屋で美味かった試しがないなぁ〜」

の鶴の一声でMOSへ。彼はMOSでなんと汁粉をオーダーしており、ワタシの気持ちを乱した。(ワタシはえびバーガーとオレンジジュース)。彼とは次回「甘味王座決定戦」で落とし前をつけねば、と(一人ひそかに)盛り上がる。

ひとしきり歓談の後、皆一緒に駅へ。ホームではワタシの小学校の奇怪なトイレのハナシや鼻毛の話しで(特に「『レッド班』2/3」さんが)盛り上がりつつポリバルーンをふくらましつつ、電車を待った。

一人別方向の「『レッド班』1/3」さんを万歳三唱でホームに残し(「『レッド班』1/3」さんも赤くなりながら一人で万歳三唱につきあってくれた。え〜奴っちゃ!)帰路についた。
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「ツアーの」全貌は以上である。


----- 感 想 ------

いや〜・・・当たり前のコトですが、「人それぞれ、感じ方もそれぞれ、考え方もそれぞれ、受け止め方もそれぞれ・・・」というコトを強く強く感じた1日でした。

一風変わった見せ物小屋風に楽しむ人、あの膨大な作品群を真摯に受け止める人、あるがままを受け止めようとする人、人生のいろんなコトを考えてしまう人、只々のまれてしまう人、全く意に介さない人・・・他にも沢山の「反応」があると思う。

全国のシャッチョさんは、是非「神秘珍珍ニコニコ園」で面接試験をしてみては如何でしょう。入職希望者にあそこを歩かせ、その反応の気に入った人を合格させるのだ。ご希望の方は是非ご一報下さい。へっぽこ『ご案内係』の『ブルー班』がツアーをコーディネイト致します。

(でも初めて行く人にはやっぱりちょっと怖がってほしい。(本音))

----- 追 伸 ------

・『外園』のポエム、「そのうち出てくる」は、そのうち「生えてくる」という意味じゃ無く、そのうち貴女の目の前に「出てくる」わよ、と云ふ意味だったのだろうか?

・『休憩所』の出口で出会った小っさいオッサンは「神秘珍珍ニコニコ園」に併設(っていうか内部にある)『ペット霊園』に自分の犬か何かを納めに来た人ではないだろうか?んで、恰幅の良いオッサンが火葬・納骨の係だったんじゃ・・・?それにしてもあんな所(「神秘珍珍ニコニコ園」内にある『ペット納骨堂』)へ自分の可愛いペットをまかせる人がいるとは・・・世の中って・・・。



『「神秘珍珍ニコニコ園」リベンジ・ツアー
〜参加者全員参加感想文集!!〜』の巻(^-^)/


*ファンレターはこちらまで〜(^-^)/*


まずはトップバッター「コジー」さんです。


「珍珍ニコニコ園浮世絵珍歌」

@ピンク店 出て来るヤツの 顔見れば
      ニヤリニヤリと  皆んなスケベー

  そんなにHだったか?「ニコ珍」は
  「スケベ笑い」ではなく「苦笑い」だった気もする。

Aキス三度 そろそろどうかと ささやけば
      店まで母が  出迎えでダメ

  ムラムラと なるヤツいまい 珍珍園(コジー作)

   しかし、パンフで最も秀逸なのは
  上記(本文中は“右のような”)珍珍歌及び浮世面白歌壇が数百首。
  一冊読むと長生き間違いなし。
   と、書かれ「・注文により送ります代金800円(送料別)」となっている。

  まさに「やるな。珍珍園」の一言が感想だ。



次峰は「ドスコイさいとー」さんです。


不思議な空間でした。やばいです。あそこは・・・
でも、一度は体験しておくべきです。



三番手は「tomaki a.k.a. kilroy」さんです。


 なんていったらいいだろう?

 確かに行く前などは、たとえば見世物小屋(Freak Show)を見に行くような、一種じめじめした興奮があったし、作品に対しても見慣れないものを見たときに感じる違和感みたいなものをあったのだけれど、そこの空気に慣れるにしたがって、むしろ懐かしさのようなものさえ感じたのは、自分の中にも同じFreak(奇人・変わり者)の部分が存在しているからかもしれない。

 なんにせよ、アーティストを取り巻く世間の状況は今も昔も変わらないようだ。

 100年以上前のオランダでも、風変わりな絵を描く伝道師くずれの画家が、生涯で1枚の絵しか売ることができないまま自殺した。自分の耳を切り落としたり、精神病院の世話にもなったその男は当時の人間からはFreakとしてしか受け止められなかったのだ。

 別に「神秘珍々ニコニコ園」の作者をゴッホだと言ってるわけではないが、やっぱりこういった自分の信念を持って創作活動を続ける人間が受け入れられないのは残念だとも思う。

Vincent van Gogh 
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)
オランダの画家。37歳で自殺。

tomaki a.k.a. Kilroy

(彼はもしかしたら又別のレポートを投稿して下さるかもです。次回作にも乞うご期待。)



さてトリは「諏柚」さんです。

実はご本人から、
>読んで楽しい文章ではないので、メールマガジンで流すならば、
>まとめの部分だけ載せて、さらに読んでみたい人だけが全文を読める
>ようにするのがいいのではないかと思うのですが、いかがでしょう。
というコメントを頂いていたのですが、ワタシは結構良いと思ったので全文掲載させて頂きましたm(_ _)m。 まだ「神秘珍珍ニコニコ園」に行ったコトがない方は、最後の「9.まとめ」からお読みになるのもテかと思います。どうぞ宜しくお願い申し上げますm(_ _)m。


「神秘珍珍ニコニコ園」に対するひとつの肯定的評価


1.はじめに

先日、「神秘珍珍ニコニコ園リベンジ・ツアー」なるものに参加させていただいた。その珍道中もなかなか楽しいものであったが、それはどなたかが書いてくれると思うので、ここでは、私なりに「神秘珍珍ニコニコ園」について考えたことなどを書いてみたいと思う。

ただし、内容的には、実際に観たことのある人以外にとってはあまりおもしろくないものだと思うので、そのつもりで。


2.神秘珍珍ニコニコ園とはどんな所か

神秘珍珍ニコニコ園。それはいったい何であるか。名前を聞いただけではなんだかよくわからない。行った人の話を聞いても、なんだか得体が知れない。まぁ、どう説明されてみても、結局は一度行ってみないとわからないかもしれない。

しかし、あえて「神秘珍珍ニコニコ園」とはなにか、端的に述べてみよう。それは、木彫りの人物像神仏像に興味を持った一個人が、それらを集め、自宅で展示公開している施設である、といえる。木彫りの彫刻像のほかにも人物や神仏を主題としたやや風俗的な絵画や写真、詩歌なども展示されている。しかし、まぁ中心は木像であろう。それが自宅の軒先や倉庫に無造作に展示公開されている、奇妙な空間である。


3.物を集めるということ

世の中に、変わったものを集めている人というのはけっしてめずらしくない。インスタントラーメンの袋を集めている人、有名人のたばこの吸い殻を集めている人、トイレットペーパーの包み紙を集めている人、缶飲料の空き缶を集めている人。ほかの人から見れば、ごみ以外のなにものでもないものを集めている。

あるいは、キティちゃん関連の商品をひたすら集めている人、ナイキの靴やGショックを集めている人、ジッポーを集めている人、マッキントッシュのコンピュータを集めている人。興味のない人にとっては、どうしてそこまでして集めるのだ?と思ってしまう。

もっといえば、切手を集めている人、硬貨を集めている人だって、それを集めている人が大勢いるから市場価値が出て、広く趣味として認めているのであって、興味のない人にとってはたいした意味はない。

しかし、人は憑(つ)かれたようにものを集める。好きだからだ。楽しいからだ。自慢できるからだ。集めることによりそこから何かが見えてくるからだ。ときには金もうけにもなるからだ。

そして、本人が好きで集めているのならば、それはりっぱな趣味である。社会に反しないかぎり、他人がどうこういうようなものではない。
そして、「神秘珍珍ニコニコ園」のおやじさんは、木像彫刻を集める。しかも、とりすましたものではなく、たぶん名もなき人によって作られた、庶民的な作品を集める。


4.大衆文化を保存するということ

なぜ集めるのか。
「神秘珍珍ニコニコ園」には、「世の味わい深い多くの木像が、無造作に捨てられ、壊されていっている。私がそれらを集めなかったなら、いったい誰がそれらを後の世に伝えるというのか」というようなことが書かれている(よく覚えていないので原文どおりではない)。つまり、「神秘珍珍ニコニコ園」のおやじさんは、木像の造形、それに込められた想い、通俗的ゆえのあたたかさといったものに魅せられたのだろう。そして多くの像が消費され、打ち捨てられてしまうのに心を痛め、こつこつと収集を行っている、ということのようである。

確かに、どこにでもあるような大衆的なものは、ふと気がつくとどうやっても手に入らなくなっていたりする。最近でこそ本、レコード、テレビ番組、映画などをきちんと残そうとする努力がされているようではあるが、ひとむかし前の道具、電気製品、電子ゲームなどはどれほど保存されているのだろうか。器は、服は、加工食品は、建物はどうであろうか。

そういった中、自分のできる範囲で興味のあるものを保存していく行為は、賞賛されてもいいかもしれない。


5.ほかの人に公開するということ

そうやって物を集めていくと、やがてそれを他人におひろめしたいと思うようになるのは自然な気持ちである。親しい友達に「こんなの集めてるんだけど」と見せるだけでなく、同じ趣味を持つ人に自慢だってしたくなるだろう。量が増えてくると、せっかくこんなに集めたんだから・・・と、博物館をつくってしまう人も出てくる。実際、趣味がこうじてブリキのおもちゃの博物館とか、人形の博物館とか、作ってしまった人がいる。私設美術館だって、もともとは個人の収集物の展示から始まった所も少なくない。車の博物館のなかにもそういうものがなかったか?絵などを買いあさり、倉庫に死蔵しているよりは、広く公開されているほうがいい。

ただ単に集めているだけでは何も生み出されない。人に見せて、人と交わることで感動の共感、新たな発見、収集の発展が生まれる。インターネットのホームページで公開するのも同じような心理といえるだろう。

神秘珍珍ニコニコ園も、そういう意味では博物館である。個人で集めた木像や絵画、写真、作成した詩歌などを展示し、広く世に見てもらおうとしている。そして、それらは人として自然な気持ちであり、表現し、他者になにかを発信することはすばらしい行動ではないだろうか。


6.興味のない人はただとまどうばかり

しかし、集めて展示してあるものが本人にとってどんなすばらしいものであっても、それに興味がない人にとっては、がらくたでしかない。

たとえは、「このトイレットペーパーの包み紙はxxxで採取されたもので、いっけん平凡に見えるが、このバージョンとこのバージョンではここに印刷されている花のおしべの数が1本違うんだ。」とか、「このマッキントッシュxx型はxxxx年に作られていてxxxな特徴が・・・」と熱心に説明されても、興味がない人は「はぁ。」としか言いようがない。

さらにいえば、たとえ芸術的にきわめて価値の高い焼き物の展覧会があったとしても、芸術に対する感性が鈍く、焼き物のことなんぞまったく不勉強な私がみたならば、何がどう違うのかわからないし、そのよさがぜんぜんわからないので、たいくつするばかりであろう。

で、神秘珍珍ニコニコ園である。そこは木彫り像のワンダーランド。しかし、庶民的な人物像、神仏像に興味を持っている人なんぞ、それほど多いとは思えない。だから、なにか過大な期待を抱いて神秘珍珍ニコニコ園に行った人が「金返せ」と言いたくなるのも無理からぬことである。

もちろん、自分の興味の対象外のものにふれることがすべてむだだといっているわけではない。新たなものに触れ、感性をみがいていかなければ、新たな感動は育たないのだから。


7.木彫りの人物像、神仏像

木彫りの人物像、神仏像。はたしてどれほどの人が興味を持つのだろうか。

そういえば、私の知り合いに神仏像を彫るのが趣味の人がいる。その方の家には、素人のものとは思えないような見事な神仏像が数多く飾られている。立派な趣味だと思う。そう考えれば、興味を持つ人はいなくはないだろう。

しかし、なにも人物像や神仏像などというなんだか念がこもっていそうなものを集めなくても、との意見もあると思う。でもそれは、ろう人形館とか骨董品の人形館、さらには神社仏閣などで展示されている国宝級の神像、仏像だって同じようなものではないだろうか。

作った人の想いや像の語りかけが感じられるからおもしろいと感じる人もいるだろう。観る人によっては不気味だと思うかもしれない。そして、気持ち悪くなる人にとっては、「神秘珍珍ニコニコ園」は忌むべき場所かもしれない。そしてそれぞれの強烈な感想が伝えられていく。


8.威厳がないゆえの低評価

そして、「神秘珍珍ニコニコ園」を決定的に不可解なものにしているのが、その名前、展示方法、説明方法である。
神秘珍珍ニコニコ園。名前からしてなんだかわからない。いかにも怪しげである。しかも、書いてある場所によって名称がまちまちである。わからない。

展示方法。自宅の軒先や倉庫に照明もなくばらばらと展示するというあまりの無造作な展示。展示してあるのか、ただ置いてあるのか、ごみなのか、わからない。

説明書き。文章があやしすぎる。およそ解説するための日本語でない。読んでもなにをいっているのかわからない。

しかし、これが、たとえば壮麗な建物を建て、「民芸木彫り博物館」などというそれらしい名前をつけ、仰々しい保存ケースに入れて、「これはxx年にxxにより作成された作品で、xxな趣がある」などとそれらしい説明書きをつけて展示してあったならば、観る人は、「なるほど、そう言われてみれば、庶民的な温かみがあるなぁ。」などとわかったようなことをつぶやいたりしそうである。そして「これだけちゃんとしているのだからいいものなのだろう」などと高めの評価をしてみたりする。

ところが「神秘珍珍ニコニコ園」にはそれがない。普通の博物館と違い、権威的な説明で教えてくれるわけではない。ここでは、自分で感じ、考えるしかないのだ。みすぼらしいつくり。「たいした物ではないな。」評価が見栄えに引きずられてはいないか?

ただ、私も、もう少し展示方法や説明をなんとかすればいいのに、とは思う。

そして、これだけのものが集められているのだ。もし収集された木像を体系的に整理し、そこからなんらかの考察を導き出したならば、それはりっぱな民俗学であり、文化史学となるであろう。また、彫像の造形になにか感じる人がいたならば、それはりっぱな美術である。それとも、「神秘珍珍ニコニコ園」を訪れる人の多くが「神秘珍珍ニコニコ園」についてなにか言いたくなってしまうのは、何かを感じて心動かされたということであり、すでにひとつの芸術の形となっていると言えるのだろうか。


9.まとめ

神秘珍珍ニコニコ園とは、木彫りの人物像神仏像に興味を持った一個人が、それらを集め、自宅で展示公開している施設である。自分の好きなものにこだわってそれを集め、広く世に公開することは、人として自然な気持ちで、すばらしいことであるが、そのあまりに無造作な展示方法などにより、興味のない人は混乱するばかりである。しかし、そこからなにかを感じ取る人がいるということは、ひとつの芸術の形といえるかもしれない。

「1.はじめに」から読む

*ワタシの感想文はこちらです。