* ウブの夢−南国のおしし− *
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 目を閉じるとそこに闇が広がる。その暗闇の中からすうっと聖獣バロンの赤い顔が浮かび上がる。そうして、私はあのダラダラとした東南亜細亜のムシ暑い夢の様な夢の世界の内(なか)に落ちて行く・・・

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 インドネシアのバリ島中心部に「ウブッ」という村がある。ここは人々と旅行者とが上手に輪っかを作って暮らしている。

旅行者は村のいろんな楽しみを少し分けてもらいお金を落とす。土地の人はその金で祭りを守り、村を守る。

観光客が沢山来る。

でも、だからと言って人々は、観光客の服や考えをそのまま鵜呑みにしようとはしない。観光客用に井戸のシャワーを作っても、自分達は裏の川でマンディー(沐浴)をし、今日もバリヒンドゥーの神々に花を、祈りを、踊りを捧げる。

 この村の家庭には電話は無くてもTVはある。

いくつもの島から成るこの国を統一する為、政府が衛星放送を普及させたからだ。

人々は神に捧げる数多の芸能と同じようにTVも好きな様だ。
しかし、人々がその小さな箱の価値観に振り回される事はあまりない。

Gパンを履き、コカコーラを飲み、若者がラップダンスを踊っている様を毎日の様にTVで視ても、人々は話のなかなか進まないトペン(仮面劇)やワヤン(影絵芝居)、そして闘鶏が大好きなのである。ジャカルタの人達とはちがう。

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 印度のヒンドゥー聖地の寺院は絶対異教徒を院内に入れない。

ワタシはここ、ウブで初めてヒンドゥー寺院に入った。人々の信仰心は決してうすくはない。しかし、南国気質がそれを許した。バラナシの人達とはちがう。

 そんなウブッの人達は昼はそれぞれの仕事をし、あおく広がる田園とその向こうのヤシの木の間に陽が落ちて行き、ケッコー(オバケみたいに大きなヤモリ)が鳴き出し、闇がせまって来ると、漫ろ、歩き始める。

そろいのサロン(腰巻き状のスカート。インドネシアの正装につかう。男女共)を巻き、男も女も正装し、闇に吸い込まれる様に続くだらだらとした坂道に、あっちの辻、こっちの辻から集まり歩いて行(ゆ)く。

女しは巨大なそなえ物を頭に、男しは子どもの手を引き、又はもう一足先に寺でガムランを奏っており。


坂道に人が  そぞろ、 ぞろぞろ、
         そぞろ、 ぞろぞろ、
ワタシの心 そぞろ、 ざわざわ、
         そぞろ、 ざわざわ、


 祭りの前の空気はどの国でも同じだ。

道の屋台が歩く程にだんだんと多くなって行き、誕生日だという寺が、もう近い事を示す。

 ワタシの泊まっている家のおばちゃんは、真ッ黒なカオの真ッ白な歯をムキ出しにしてツーステップをふみながら、「バロォン、バロォン」と言いながら、今日、ここから2Km弱の寺が誕生日で、バロンが出ると教えてくれた。バロンは、この村のおししである。

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 おばちゃんは、ムコッ取りでムコのおじちゃんはガムランの奏者で、いつも自宅の裏にある村の集会所で「スリン」という鉄琴状のガムランをたたいている。

おじちゃんはなかなかの男前で、2人の間には3人の娘がある。夫婦仲は大変よろしくまるで恋人同志の様だ。

 ワタシは、おばちゃんの年は知らないけれど、ひょっとしたらワタシといくらも違わないのかもしれない。

しかし、生活スタイルはワタシのばあちゃんの様であり、いつかワタシがうっかり庭の木にサロンを干したらおばちゃんけっそうかかえて飛び出してきた。

おばちゃん家(ち)の門はトリイと同じ様な物らしく、腰から下の物はそのトリイより高い所に干してはならないのだと言う。

それが判るまでワタシは、只、庭木に(洗濯物を)干したのが具合が悪かったのだろうと、軒にロープを張ってはおこられ、垣根に洗濯物を移してはおこられした。

東の果ての小さな国に住む我が祖母も、北向きに干すな裏返しに干すな、午後の2時にとり込め、朝早くに干せと洗濯物に対して大変うるさい。

それもアニミズムから来る考えで、要するに『死んだ者(もん)』の行為(北向き、裏返し、左前など)に怒るのであるが、ここのおばちゃんが嫌がる訳はワタシには判らない。

が、ワタシの日本的アミニズムから推測するに、下(シモ)の事は不浄であるので聖なる物より高い位置に置いてはならない、という事なのではないか。

 おばちゃんと3人の娘は毎日キチンとプジャ(お祈り、お払い、その他儀式)をしている。庭のそこかしこにはプジャで使われた小さなブーケ─竹で編んだ小さな皿に花を飾った─がそなえられている。

ワタシの実家は決して宗教に忙しい家ではないが、慣習的に年中行事はこなしている。正月には神様専用の小さな皿に、又神様用に小さく切ったモチでつくった雑煮を火の神様だ、井戸の神様だと八百万の神に捧げる。この庭の井戸の蛇口の上にもそのかわいらしいブーケが毎日ちょこんと乗っている。

それを見ると「嗚呼、同じ自然に感謝して、自然に生かして頂いている民族なのだなぁ」と感ぜずにはいられない。

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 生誕祭りの寺の前の屋台のおじちゃんは風船細工を作って売っている。

昔家に来てた越中富山の薬売りのおじちゃんがやっぱりゴム風船でリンゴだのコケシだのと作ってくれたが、このおじちゃんもそのおじちゃんのようにやせていて、やはりゴム風船を口でふくらまして作っている。

家につれて帰って朝から晩まで晩から朝まで風船をふくらましてほしいと思う程、この南国のおじちゃんの手は素晴らしく、竹の棒にいろんな型でゴム風船をからませて行く。

ガムランの音がひびいて、早く早くとワタシをせかせる。ワタシはフーセンを見るのを切り上げて、服装チェック(神の前に出て良い服装かどうかチェックされる。だいたい、サロンを付け、スレンダンと呼ばれる布を肩から下ろしていればOK。場合によっては裸足を義務づけられる。)をすませ寺に入る。

寺ではガムランの団体が3ツも出て、大々的なプジャが行われ、お祭り広場では人々が、トペンやワヤン、そしてバロンの登場を待っている。

 バリの祭りは終わらない。

あの物悲しい、祭りの後のしずけさはやってこない。
なぜならば、毎日毎晩必ず何処かの寺や集会場で祭りや祭りの為の踊りや劇が、観光用のそれら、そして冠婚葬祭のそれらとが催されているからである。

未来永劫につづく祭りの数々に、人々は嫌がらずワタシ達異教徒の参加を受け入れてくれている。

 お祭り広場では舞台がつくられトペンが行われていた。
観光用でないトペンは漫才の様な事もやったりする。言葉は解らないが、何をやっているのかは判る。

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 初めて、バリのガムランを聞いたときはドギモを抜かれた。

おばちゃんからおじちゃんの出るレゴンやバリスのおどりのチケットを買って裏の寺へ見に行った。

観光用の物だっが、おじちゃんの顔も、ガムラングループの人の顔も引きしまっていた。お金を取るところでやるガムランは、一種の緊張感があり、芸術としては最高潮の物といえるかもしれない。

 ガムランはジャワ島にもあるが、一般にバリの物の方がガムランのつくりが小ぶりである様だ。バリの中でも色々なガムランがあるが、代表的な物はゴング・グヒャールと呼ばれる神の宿る楽器ゴングをはじめ、鉄筋のような型、おわんをふせたような型、と何種類もの青銅器とクンダンと呼ばれるリーダーの太鼓とチュンチュンと呼ばれる手で打つ小さな5枚重ねのシンバルが入る。


ジャカルタのガムランはクンダンとチュンチュンは無く、代わりに中国のこきゅうのような弦楽器と木の箱でできている楽器と人のコーラスも入ったりする。

 そして、一番の違いはジャワのガムランは王宮の音楽、王様の為の物であり、バリのガムランは神々に捧げる為の物だと言うことだ。

 ジャワのガムランは王宮で奏でられる。

角力の土俵に柱をつけた様な広い舞台でゆっくりと奏でられる。

そのゆっくりゆったりとした旋律は壁のないはずの舞台をすっぽりとつつみ、そこの空間をゆがめる。

たゆとう青銅の和音にのせて、たわむように人の唄声が重なって行く。ゆっくりゆっくりと時間がずれてゆき、いつか王様が踊りや料理を楽しんだ頃へとワタシ達をいざなう。

踊りがこの世の楽しみを、料理がこの世の快楽を味わう最高潮のものだとしたら、このガムランは「時間」と「空間」をしごく贅沢にしたものかもしれない。

昔の王様は時間さえも自由にしていたのだろうか。

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 ドラの様な大きなゴングが鳴り、一斉に鉄琴様のガムランが叩かれる。

──速い。
そして複雑だ。おじちゃんはふだんの3倍くらいイイ男になっている。

バリの人は、よくジャワのガムランをバカにする様な所があるのだが、その気持ちもちょっと解る様な気がしてくる。

演奏者がみな若い人なのもうなづける。
ジャワのガムランは目の見えないヨボヨボのおじいさんも加わっていたりしたが、バリのガムランはとてもとても年のいった人には体力的に叩けないであろう。

ガムランは2台で1台の役割をし、その2台が微妙に音がずれて調律してある為、その2台を同時に叩くと音がうねるようなしくみになっているのだそうだ。

つまり、一対のガムランを叩くとそれだけで微妙に和音になっている上、各種ガムランが各パートごとに別れ、そこで更に和音をつくる為、演奏はフクザツな「和音の音楽」となるのである。

そしてダメ押しに、各パートの和音は、一音一音をほぐして丁度ギターで言う所のスリーピッキング奏法の様に、一音づつ、ものすごく速いビート叩く為、より複雑にその青銅の音色は和音をつくり、和音の洪水をつくる。

中でもおわん型の「レヨン」というガムランは信じられないようなたわみと厚みの和音を作り出し、又キレの良いブレイクで、その演奏は東洋離れしたセンスで迫ってくる。

正にユニゾンの境地、最高潮の音楽だ。


ジャワのガムランが就寝前アナログのステレオで聞くレコードなら、バリのそれは、デジタル処理されたCDを車内に積んだデジタルコンポで高速を突っ走りながら大音量で聞いている時の様なものだ。

 バリのガムランは、音を聞き分ける事になれたワタシの耳にもフクザツな物だった。

が、むつかしいから、良いものとは限らない。単純な物、やさしい物は、頭にもやさしい。

ジャワのガムランはうねりがたゆたい、眠りをさそう。バリのは、デジタルコンポを大音量で長時間聞き続けているとそうなる様に、神経が疲れて、眠くなる。

どちらが良いとは言えないが、『舞踏とのアンサンブル』という視点だけで捉えたら、それはバリのガムランの方が踊りとぴったりと合っていた様に思う。

踊りは、バリス(戦士)の踊りが素晴らしかった。

その時見たバリスはまだほおのふっくらとした子どもであったが、その后いろいろみた大人の演る、どのバリスよりもすばらしかった。

戦士の強さの象徴、ムキ出しにされた大きな目と、高く上げた肩、きんや原色のころもをなびかせ、ガムランの高なりと供に勇ましく回転するその子どものゆびや足の先はぴんと緊張し、全身一部のスキも無くカンペキに戦士、バリスを演じていた。

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 誕生日の祭りで湧く寺の中のに設置されたガムランの3グループのうち、1つのグループのガムランは、とてもかわいい楽しい音色を出している。

音楽も今まで聞いたよりもずっとコミカルな感じのするものだ。そのガムランは他のものより更に一回り小ぶりで聞いているだけでほほえんでしまうようなカワイらしい音色の物だった。

お祭り広場ではいよいよ、トペンも終わり、サルが出て来た。バロンが出てくる踊りは「チャロナラン」が有名だが、祭りの時はこのサルとバロンもチャロナランの時よりコミカルに演じられるようだ。

ガムランの音色が変わり、舞台のカーテンが割れ、おまちかねのバロンが善の象徴である証のような、あまたの後光(ひかり)につつまれて登場する。

バロンは、赤いカオのおししのような物で、バリヒンドゥーの「善」の象徴とされ、210日ごとに悪霊を鎮めるため街をねぶり歩く聖獣である。

全身毛むくじゃらで体には小さな丸い鏡が沢山うめ込まれている。バロンが後光を放つのは、アセチレンランプの光がこの鏡に反射するせいだ。バロンはバリの人達の永遠のアイドルでありヒーローであり神様なのである。

 祭りはまだまだ続いている。

バロンの後は、ワヤンと呼ばれる影絵をやっている。ウブッの夜は暗い。東南亜細亜の夜は、おどろくほど暗く長いのだ。その長い闇の間中、その影絵芝居はゆっくりとお話が進んで行く。

ワタシはヤシの林を抜け、家へと帰る。

まだガムランの音が耳に残っている。闇の中で目をつむると更なる闇が訪れる。ワタシはその闇に落ちていく。その闇の中からバロンの赤い顔がすぅーっと浮かんで来る。

バロンは善の象徴聖なる証の光につつまれ、神々しく、登場する。

サワデ王子を悪の象徴魔女ロンダから救うべくあらわれたのだ。
「チャロラナン」のクライマックスだ。

バロンとロンダが雨の中、すさまじい空中戦を始める。ランダが呪いの魔法をかけ、バロンはそれに立ち向かう。闇が裂け、雷雲が轟き、いかづちが落ち、嵐が呼び込まれ、世界がゆがむ。

両者の戦いは終わらない。

 人の心は善だけにはなりえない。
だから「悪」をこころに上手に住まわせながら生活していかなければならないのだ、とバリの人は考えている。

人の心の闇の中、バロンとロンダの戦いは終わらない。永遠に。
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 1つのガムランの演奏の終わりをつげるゴングがなる。

その重い響きを耳の中で聞くと、ワタシはいつでもあのでっかい東南アジアの夕日を思い出すことが出来る。

「ゴング」とは「ゴング・グヒャール」と言って、曲の初めと終わりに必ず打たれる大きなガムランのコトだ。初めの方にも書いたが、このガムランには神が宿っている。

人間は一般に夜目が利かない。

昔の人間の「一日」とは、日の出から日没までであったはずだ。

ゴングの音は、ワタシにそんな原始的な「終わり」の感覚を思い出させるのかもしれない。

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 やがて闇がおとずれる。

ここの夜は、おそろしく暗い。ここでは、まだ夜は夜として存在しているのだ。