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ふぁいるでーた

風をあつめて。〜旅行記編〜その03・横浜のにじ


通しNo .01003
〜なはなし
〜のはなし
旅・せかい
せかい
旅全般・旅行記「ダラ」
〜のころ
すなふきん(前半)
とき '92 7月-'92 10月
メルマガ配送日
 2002/08/02号


風をあつめて。〜旅行記編〜その03・横浜のにじ

*このお話しは続き物(連載)です*
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<1991年7月某日 東医(回想)>

カネも少なきゃ荷物も少ない、でもそれも入学(*01)直前、その年の春に経験した一月のタイ、印度、スリランカの旅行(*07)でデイバッグ一個、所持金三万円で成田までの交通費往復、印度半周の交通費、宿代、観光代、飯代、モロモロ全て含めて一万二千円しか使わなかったから、そんなモンでも十分じゃないにせよまぁいっか、となってしまったんだろう。

この大量のコンドームは、学校の時付属病院の敷地内にある東洋医学研究所という所に出入りしているプロパーさん(*08)からの餞別だった。

「東洋医学研究所」は、その名前だけ聞くとなんかいかめしい要塞みたいなのを想像するけど要は病院の庭にあるこじんまりとした個人院のとなんら変わらない小さな鍼灸治療院だった。

今でこそ、得にペインクリニックの世界では東洋医学が注目されたりしているけれど、当時としては西洋医学の病院の敷地内に鍼灸院が設置され、西洋医学と東洋医学のスタッフがタッグを組んで利用者(患者さん)の治療に当たる、というのはかなり珍しい試みだったのでは無いかと思う。

私はその東洋医学研究所(略して東医)の人達に恐らく入学当初から仲良くしてもらっていたと思う。

用事があってもなくても東医に遊びに行って、中でも年の近い京都出身の鍼灸師の女の子に仲良くしてもらってて、後に色々あってその子の家に転がり込むことにもなった。

北京の先生を紹介してくれたのもそこの所長さんだった。私はつきあっていた彼が長期旅行に行ってしまったこと、そしてそれを追って行きたいことなどそこの人達には包み隠さず話しており、自分が持っていた車も東医の鍼灸師の男の子に託した。

東医は当時の私のほっとできるアットホームなお茶の間的存在だった。それはワタシが感じるだけでなく、多分当時の東医自体がそういう雰囲気を持つ場だったんだと思う。

大量のコンドームをくれたプロパーさんもきっとそんな家庭的な雰囲気の東医が好きだったんだと思う。足繁く通って顔を出し、東医の仲間の一人みたくなっていて、先の女の子の相談役になったりもしていた。

実家から遠く離れてる彼女にとって彼は多分(ちょっとシャレた)頼れるお兄さんみたいな存在で、一度三人でスカした喫茶店でケーキを食べたこともあったっけ。

出立間もないある日、プロパーの彼も含めて東医の人達といつもの様に談笑している時、私が一つ心配事を口にした。

「襲われた時にさ、コレを使って!ってコンドーム渡したら暴漢は使ってくれるかな?」

みんな笑って「でもそれって同意って事にはなんないんかね?」「アメリカで本当にそういう例があって同意って事にはなんなかったらしいね」などと尤もらしく談議したが私自身は真剣そのものだった。

暴漢に襲われたらきっとかなわないだろう。せめて妊娠と病気の予防をしたい、こういうことって女の子が旅立つ前には必ず心配する第一の、何を置いてもまず一番に心配になっちゃうことじゃあないだろか?

私はともかくそれが、その事だけが出立前の「不安」だったのだけど。考えてみたらそれ以外のことは本当に何の心配というか気がかりなど(我が身の安全については)無かった気がする。

結局、笑いをかみしめながらも真面目な顔をして「そりゃ使ってくれるよ、向こうだって病気はイヤだろうしね、ウチでも取り扱ってるから調達してやるよ」とプロパーの彼が言い、そして夏休みに入る直前、本当に彼は約束通りそのコンドーム(の箱の束)を手渡してくれたのだった。

それは一グロスもあって、確か何箱かがまとまって外箱に入ってご丁寧に外箱はセロファン包装してあった様に思う。それが二塊もあって最初見た時は海苔とかお茶とかのお中元の箱かと思った程。

その量は、まぁ彼は言うなれば卸業者みたいなもんだからその単位でしか取り扱いがなかったとはいえ、それをそっくり渡されたのでは殆ど嫌がらせというか「なっから」気の利いた?ギャグの世界だったけど、

その後香港である人から「いくつか出して持ってくればそれで良かったんじゃない?」と言われたが全くその通りである。が、私は何故かかなりがさばるそれを、そっくりそのまま東急ハンズの白いビニール袋に入れて持って来ていたのだった。

きっと多分、「お金はいいよ、餞別だよ」と言うことばを真に受けて、餞別なら持って行かねばとそのまま持って行ってしまっていたんだろう。良くわかんないけど。

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つづき:<1991年7月30日 横浜港>


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