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まぐまぐ・ID21973


ふぁいるでーた

黄泉を走る列車


通しNo .00012
〜なはなし
どたばた・とほほ
〜のはなし
旅・せかい
出発前の君へ・・・
せかい
印度
〜のころ
ナース卵
とき '91 3月-4月
メルマガ配送日
 2002/03/01号


黄泉を走る列車

ワタシ達姉妹はバラナシ→カルカッタの長距離移動の後、カルカッタの駅でちょうど乗り継ぎの列車がタイミング良くあるのを知り、

そのまま寝台の予約もせず、飲食類の補給すらせずにカルカッタ→マドラスの印度縦断長距離列車に乗り込んでしまったのだ。

今まで自分等は駅をたらいまわしにされながらやっとこさっとこ座席の予約をしていつ来るんだか来ないんだかわかんない列車を駅で張り込み続け、

ダイアもホームも乗り場の指定もあってなきがごとしのこの印度列車を、ヒンディーの構内放送に神経をとがらし、人々に聞きまくってやっとつかまえて乗り込んだとしたって、

そういう手間になんの意味があるんだろうって思ってた所だったし、これまでの経験から、スリーパーは予約せずとも乗ってからなんとかなるって事も知ったし、

実際これまでの旅でも予約なしでも車内でスリーパー取ってる人を何人も見たし、

もう水も食料も買ってる時間も無くって、「スリーパー取れるかな?」一抹の不安はあったけど

スリーパーは乗ったらすぐ車掌に聞こう。多分とれるよ、水や食料は売り子が来るさ。」タカをくくってたというよりは

「乗る列車」をみっけたりその予約とかなんとかがなんだかもう面倒でダルくて、目の前の「この列車」に乗ればいいんだという確証がある限り、

もう今このまま乗り込んでしまうという選択の方がずっと安堵感があったのだ。このおろかな姉妹は。

それが不幸の始まり。

その列車は現地の人にとっても主軸の路線だったみたいで、寝台は一杯、車掌や鉄道職員を呼び止めては寝台を取りたいと願い出るも一向に埒があかず、

「ないよ」

駅員によっては印度人にしては珍しくハッキリ言われても、(へ?)(そんな筈はなかろう)(またまたまたー)半信半疑のまま日が暮れた。

あれよ、という間に夜になってしまい、するとみなさん早々と座席を上げシートを二段ベッドにしつらえて寝支度も完了。

姉妹はシッシ!とあわれコーチから追い出されてしまった。

しかたなくデッキの車載便所の前にうずくまると、結構な数のゴキブリ達が最初は逃げ、その内ワタシ等は彼等となんら変わらなくなって行った。

列車の揺れと車輪の金属音の区別も既に無く、しみじみと姉妹は夜の重力に押しつけられていた。

その内夜半になって突然、「ベッドが一つ開いた」と職員が案内してくれ、ワタシ等は又人間になった。

職員は乱暴に誰かをたたき起こした様な気がした。もしかしたら荷物を座席からどかさせたのかもしれないし、只空きのベッドを探してくれたのかもしれない。(実は良く覚えていない。)

覚えてるのはみんな寝静まった真っ暗なコーチの中を職員は無遠慮に懐中電灯をつけ、

ワタシ等は照らされた印度人の黒い顔を見ながら小声で沢山誤り恐縮しながらベッドに這い上がった事。

そして窮屈な座席の上、半身になったり体育座りになったりしながら夜を明かした事だ。(この時ばかりはお互いチビで良かった(;▽;)!)

結局バラナシ→カルカッタ→マドラス間の列車は遅れに遅れ、計50時間以上乗車する事に。

その間、ラスト35時間は飲まず食わずでワタシは高熱を出し、妹もグッテリ。

頼みの売り子も来やしない。いや、ピーナツ売り位は通り過ぎたのかもしれないが、姉妹は既に何をする気力も体力も失せていたのかもしれない。

夜が明けても昼がいつの間にか過ぎ、夕闇を越えて宵が訪れても、列車は一向にマドラスに着かない。

街の明かりが見える度に「翼よ、あれがマドラスの灯だ」と思う度、次第に冗談じゃ無くなり自分に言い聞かせる様につぶやいてみてもデッキはその明かりからぐんぐん遠ざかってってしまう。

列車は速度がゆるまったり走ったり、たまに止まったりもしてて、どんよりとした頭の中、もう永久にマドラスにはたどり付けないんじゃないか・・・本気でそんな事考えてる。

この列車は永遠に走ってる・・・

身も心も無抵抗主義になった頃、何度目かの街の明かりが見え、その頃になるともう「あれがマドラスだ!」と思うよりも「アレもマドラスじゃないよ」と思う方が希望が持てた。

でもその明かりは徐々に近づいて来て、姉妹は何度も声だけは確かめ合ったが、顔はマドラスの夜景に釘付けだった。

マドラスはもうすっかり夜だった。

バラナシを出てからもう何度目の夜なのかすら判らなくなっていたし今でも判らない。

二人、駅前をフラフラして宿屋を探すも

「一杯だよ」

嘘か誠か印度人のことばは何時だって良くわからない。おっちゃんの後ろには黒板に小さな黒光りする板が何枚もつる下がってて、それが多分各部屋に割り当てられてるんだろう、

全部下がってないのにな、ワタシはレセプションのおっちゃんの顔ごしにぼんやり時計を見てた。9時回ってた頃だと思う。

その宿屋を出て、姉妹は示し合わせた様に力無く駅に戻りリタイニングルームを探し、その床に倒れ込んだ。

朝になっても昼になっても姉妹は駅から出なかった。

リタイニングルームの冷たい床に横たわり、気力が出た時駅の食堂へ行った。

そうして多分、2〜3日をワタシ達は駅のリタイニングルームで過ごしたんだと思う。

リタイニングルームでは一日中汚い柄の取れた様なモップの先っちょだけみたいなモノで掃除する痩せたおっちゃんが居た。

たまに便器じゃない所にでっかいうんちがしてあったり、トイレが詰まって大変な事になったりしていたが、

おっちゃんはもくもくと一日中掃除をしていた。素手で。茶色いモップを持って。

「カースト」

ぼんやりと姉妹はそれを確認した。お互いその時は何故か口には出さなかったが、きっと彼は便所を掃除し続けるカーストだったんだろう。

それからどうやってどんな列車に乗り込んだのかは覚えていない。只、ワタシ達のマドラスの経験はこのリタイニングルームと構内の食堂だけだという間抜けた記憶があるだけだ。

だいぶ後になって旅の師匠に聞いたのだが、この路線は特別売り子や食事のサービスが悪い路線だったらしい。

印度の二等寝台で長距離移動をする時は、面倒でもスリーパーの予約、そして飲食類の確保を大目にして乗り込むことをおすすめします。


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