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ふぁいるでーた

ウブの人達〜前編〜


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とき '92 7月-'92 10月
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 2002/04/12号


ウブの人達〜前編〜

『ウブの夢−南国のおしし−』でバリ島のウブという村の事を書いたのですが、その補足もかねて、もう少しウブの人達の事を書いてみようと思います。

一応、前後編の予定です、が、後編がいつになるかは「神のみそ汁」、神のみぞ知る、ってさぶいですよネ。すみませんm(_ _)m。

さて、今までにもちょいちょいと書いて来たことなのですが、ワタシはそのウブという村のちょっと裕福そうなおウチの離れを宿屋にしたものに3ヶ月位おりまして、その離れはバリの伝統的なかやぶき屋根でとっても風情がありました。

その離れは、真四角の部屋が一つとマーンディ(トイレ兼風呂)だけの戸建てで、天井は放射状に中心に向かって柱が通され、

それが偶然だけど後日、帰国してから知り合ったある友人の部屋(*1)がそれにそっくりで、すごく驚いてなんだか不思議に懐かしかったものです。

放射状の天井の屋根裏には地元では「ケッコウ」と呼ばれる大きな大きなヤモリが住み着いてまして、最初に鳴かれた時こそびっくりしたものの、やがては「ヌシ」と呼んで姿の見えぬ彼の事を色々に想像し、文字通り"家守り"と感じる様にさえなって行きました。

彼は、夜になるとその茅葺き屋根の中で鳴き始めるのですが、その鳴き方はまるでツクツクホーシが泣くときみたいに、最初、ちょっと準備するんですネ。

・・・・(ジージーという唸る様な音と共に)ケタケタケタケタ・・・・という音がだんだんだんだん、大きくなって行って、その最高潮に達すると「ケッコー!ケッコー!」って鳴く訳です。

その鳴き声はワタシの耳にもハッキリと「ケッコー!」と聞こえるワケで、後からおばちゃんにこれは何だと聞いたら「ケッコウ」だって言うワケで、何度聞いても「ケッコウ」だって言うワケで、

(嗚呼、ウブの人にも「ケッコー!」って聞こえるんだなぁ)

ってなんか、カンゲキしたのを覚えています。

この借りていた部屋(というか一軒家)に、これもワタシのHPやメルマガには何度も出てきますが、トイレ兼、行水場のマーンディと呼ばれるのが付いていまして、水溜には蛇口から井戸水が出て、とても快適だったです。(モチロン、お湯は出ませんが。)

この井戸が、庭に出て見たらトイレのすぐ脇にあったんですよね。

東南アジア式のトイレというのは、水洗で、お尻も水で洗いますから、紙などの異物は流さないワケです。(紙を流すと詰まってトイレが壊れてしまうので要注意です!)

んで、そのブツは何処へ流れていくかと言いますと・・・地中に埋められた大きなカメの中に流れて行くんだそうです。

そしてブツはそのカメの中で微生物によって素早く分解され(なにしろ、気温が高く土中もかなり暖かい様ですから、ブツの分解には好都合、速やかに分解されて行く様です。)

分解された後はカメの底に空いている穴から地中にしみ込んで行く、という仕組みになっているんだそうです。

そのトイレ脇にこのお宅の井戸がありまして、気のせいかちょっとお水がニオイました。まぁ、順序としては、まずお水が匂ったので庭を調べたワケなので、気分的なもんで臭った様な気がした訳では無いんでしょうが、

お水は透明で濁りもなくキレイでしたからモチロン、分解は完了しているのでしょうが・・・まぁ、そんなワケです。

してこの建物は結構な高床で、部屋の前の上がり口というか軒下がちょっと広くなっていて床は石の上にセメント敷きみたいな感じ。朱に塗られていて、丁度バルコニーの風体。

そこへ竹でできたイスが二脚とテーブルが置いてありまして、夜そこで涼んで居たら左目の奥二重の所を南国のあのでっかい蚊にやられまして非常に腫れ上がった事があります。

でも腫れが引いたら奥二重の位置が変わってしまってて、以来左目だけがパッチリ二重になりました(^_^;)

朝にはここへおばちゃんがゴハンを持ってきてくれます。

これが一日交代の同じメニュー(つまり二種類の食事のローテーション)で、それは滞在中徹底してこの二種類のみだったんだけども、でもとても美味しくて3ヶ月以上続いてもワタシは全く飽きませんでした。

でもその内日が経って行って、母屋の人達ともだんだん仲良くなって来ておばちゃんの事も「お母さん」なんて呼ぶ様になったりして来ると、

彼女にこの朝食を用意させてわざわざ離れまで運んでもらうっていうのが料金の内とは言えなんだか申し訳無く思えて来て、何度も辞退しようかと思ったのですが、

嗚呼ワタシはいつも食い気に負け、悪いなと思いつつ、ついぞこの朝食を断るコトが出来ませんでした。

メニューの一つは確か、フルーツサラダとバナナとココナッツのパンケーキで、もう一つは同じフルーツサラダと、パンケーキの方が何か違うものになっただけだったと思います。

一緒に中国製のポット(暖水壷)とガラスのコップも用意してくれてお茶も飲めました。

その朝食セットは、おぼんに体裁良く乗っていて、ちょっとこの家とは不釣り合いに洒落てたから、きっとおばちゃんは地元の婦人会かなんかで、こうした観光客用の洋風な朝食の作り方やら盛りつけやらを教わって来たんじゃないか、

だからメニューも(その時教わった)この二つだけなんじゃなかろうか、なんて勝手に想像したりしてました。

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さて、このウブの村の人達はすごく仲間意識というか、仲間内というか曲輪っていうんでしょうかね、そういうのをとても大切にする人達でした。(*2)

モチロン、自分たちの社会にとても誇りと愛着を持っているのは言うまでもありません。

その様子が、ワタシの母にそっくりだなぁ、というカンジがしました。(ちなみに、父と母はお互いの実家が2Kmと離れていず、同じ市内の人間同士のカップルです。)

母は免許を取ってから無事故無違反という優良運転手(当時)ですが、未だに自分が生まれ育った所以外、例えそれが隣の市であろうとも運転して行くのを嫌がりますし、

ワタシの方言を常にチェックしていて、ワタシの上州弁がちょっとオカしいと、瞬時に「ここの人はそんな言い方しない」と違和感を訴えるのです。

そういうカンジが、このウブの人達にもすごくあって、いつかワタシがちょっとウブからジャワ島へ出かけて行って、ジャワ島のソロという所の名物菓子だという「スリン」

(「スリン」というのは鉄琴状のガムランの事で、そのお菓子はその名前を取ってカタチもそれに似せて作ってあったのです。)

というのを、確かこの子らのお父さん(若旦那)が「スリン」の奏者だと言う事もあって、このご厄介になっているおウチの子ども達に買って帰った事があったのですが、

子ども達はお菓子を見ても喜ばず、いやぁなカンジで一口、口に入れるとやっぱりすぐに「いやー」って顔で口から出してしまいました。

ワタシもそのお菓子を食べてみたのですが、結構美味しいし、バリの人の味覚ともそれ程離れているカンジもしなかったので、

きっとこの子等は、お菓子の味云々よりも「ヨソモノ」の食べ物に抵抗があったんじゃないかなぁ、などと勝手に思っていました。

さて、もう一度自分の地元自慢で恐縮ですが、ワタシの帰省先には結構古くてかっちょいい屋台(山車のでっかい様なの)が出るのです。

屋台には、太鼓やカネなどの楽器が乗っていて、この屋台の上でお囃子を演りながら屋台を引くワケなのですが、そのお囃子の速さが地域によって微妙にというか全然違うんですね。各地域によって特徴があるんです。

例えば、母の生家の地域では、もぉねむたくなるほどゆっくりと奏でるのですが、別の地域になるとものすごい速さで演奏する。

その為、屋台が近づいてくると、どこの地域の屋台か見なくてもスグに判るワケです。これは、母の子どもの頃から、そして今でも変わらず、ワタシはお祭りで、おお、今年もちゃんと各町内で違っているな、と判るとなんだかすごくほっとするのです。

そんな屋台と屋台とが、道で出会うと、御神輿みたいにぶつかりあったりはしませんが、向かい合って激しい演奏合戦をするワケです。

モチロン、自分たちの演奏スタイルは変えずに、ゆっくりの所はゆっくりと、早鐘の様な所はその様に、しかし非常に熱のこもったお囃子になります。

有名な川越の「曳っかわせ」もそうですが、昔の合戦(かっせん)というのはのどかですね。

勝敗のちゃんと付かない様な、いつ始まったんだか終わったんだかはっきりしない様な、それでいて当事者達には判ってる様な・・・

屋台はモチロン、その屋台を持っている地域の人しか演奏しないワケで、それはいくらお囃子の名手でも、ちょっと隣の屋台で太鼓を叩く、というハナシは聞きません。

ウブの人のガムランも又同じで、絶対に自分のグループのガムラン以外のモノは叩かないそうです。

「ガムラン」というのはそもそも「叩く」という意味なんだそうで、これは主に青銅で出来た楽器(竹製のものもある)の事で、何種類かのガムランで1グループとなり、祭りや冠婚葬祭で演奏されるものです。

ジャワ島にもジャワ式のガムランがあるのですが、ある会場でガムランの演奏を観た後、ハシゴして別の場所でワヤン(影絵芝居)を観ると、

さっきの会場で演奏してたおばちゃんが今度は別の人達に混じってガムランを叩いていたりしましたが、ウブではそういう事はありませんでした。

そういったジャワのおばちゃんの様な人達は、もうそれが職業で、地域など超えてガムランを叩いている人達だと思うのですが、

ウブではいくらお金を取って観光客用に見せる為の演奏でも、その地域のグループ以外の人と演奏する、という事は無かった様です。

ガムランという楽器自体も、一セットを一人の人が全て一人で作っているのだそうで、それはつまり各楽器の調律が、そのセットではそのセットだけでしか合わない様になっているのだそうです。

ですから、例えばギターの様に、各自のギターを持ち寄って一緒に演奏する、という事は出来ないワケです。その地域のガムランは、その地域の中だけでしか調和されないオープンチューニングなのです。

その為、別の地域の人と合わせてセッションする、という事がバリのガムランにはあり得ないし、

その前にみんな各地域のガムランとその演奏とに深い親しみと熱い誇りを強く強く持っている為、自然、お隣のガムランとはライバルとなり、互いに並々ならぬライバル心を持っておられる様です。

そのヘンの帰属意識が、ワタシにとってはなんかなつかしいというか、自分のトコの屋台がやっぱり一番だと強く信じている母の姿と重なって、なんかとても微笑ましかったです。

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さて最後に『ウブの夢−南国のおしし−』でワタシは、そんなウブの人達の事を「昼はそれぞれの仕事をし、(夕方になると)お祭りにやってくる」

と言うような事を書きましたが、正しく言うと(少なくてもワタシのご厄介になっていたおウチの人達は)昼間はお昼寝していた様です。

ウブの気温は如何にバリの中では高原とは言え、やはり暑く、昼間働くのには向かないのですね。

その為、ウブの人達は朝の5時にはもう働いていて、一番気温の上がる昼下がりにはお昼寝、というのがどうやらスタンダードな生活のスタイルみたいです。

ワタシがご厄介になってたお家では、家具を造るのがもともとの生業だったらしく、おばちゃんのお父さん(つまりおじいちゃん)が、朝靄の中、裏庭でまるまって木材をいじっているのを見かけたりしました。

いつかワタシが用事があって昼下がりに母屋に訪ねて行くと、軒先のハンモックでご夫婦が仲良く一緒に横になっていて、それを見られたおばちゃんは酷く慌てて、

済まなかったなぁと思いつつも(なんか、イイなァ)と羨ましかったのを覚えています。

ウブの村の人達の生活は、日本の前近代的な農村の暮らしとしごく似ているけれど、日本のそれと違って全体的に何処か余裕が感じられるのです。

それって、やっぱり年に一回しか米が取れないのと、年中、蒔けば米が取れるのとの違いなんだろうなァ、と、なんとなく思ったワタシでした。

この「余裕の違い」(日本の前近代の農村社会とバリの農村社会の比較)について、その後大学に入学してからもっとちゃんと調べた所、

色々と興味深い事が判ったのですが、それは又、その機会があった際にでもご紹介できたらなァ、と思っております(^-^)。
作業なんかを協力してやる単位の事です。
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(*1)ある友人の部屋
詳しくは、『ある友人のコト』をご覧下さいm(_ _)m。  (*1)にもどる

(*2)曲輪っていうんでしょうかね
帰国後文献を調べた所、「スカ」って言うらしいですね。農作業なんかを協力してやる単位の事です。  (*2)にもどる



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