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ふぁいるでーた

ウブの人達〜後編〜


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旅・せかい
娯楽・芸術・メディア
せかい
インドネシア
〜のころ
すなふきん(前半)
とき '92 7月-'92 10月
メルマガ配送日
 2002/04/12号


ウブの人達〜後編〜

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前編で、「神のみそ汁」の後編、と書いたんですが、これを書いた後に大分時間が経ってしまって、
後編の下書きやメモ書きを無くしてしまいました。
オマケに本人、ナニを書きたかったのか皆目思い出せません。
そんな訳で当初の予定とは全く違った『後編』になってしまいましたが、
宜しければ↓前編↓からどうぞm(_ _)m。


『ウブの人達〜前編〜』

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バリのウブという村で、ワタシが間借りしてたこのおばちゃんの家は、おばちゃんのムコッ取りで、婿のおじちゃんはガムランの奏者で、いつも自宅の裏にある村の集会所で「スリン」という鉄琴状のガムランを叩いている。

おじちゃんはなかなかの男前で洒落者で、2人の間には3人の娘があって。夫婦仲は大変よろしくまるで恋人同志の様で。(『ウブの人達〜前編〜』参照)

ワタシは、おばちゃんの年は知らないけれど、ひょっとしたらワタシといくらも違わないのかもしれない。

しかし、生活スタイルはワタシのばあちゃんの様であり、いつかワタシがうっかり庭の木にサロン(腰巻き様の履き物。男女とも)を干したら、おばちゃんけっそうかかえて飛び出してきた。

なんかここへ洗濯物を干しちゃならんと言ってるらしい。

ならば、と軒下にロープを張って干したがこれも怒られる。

なんか物干しを使えと言ってる見たい。

物干しを使ってみる。

でも又怒られる。

なんか年中、部屋の前や上がり口へ洗濯物を干してはおばちゃんに叱られていた。

でもおばちゃんにとってそれは一大事だったみたいで、バリ語と日本語が出来る人まで連れて来て、なんかちょっとした事件みたいになって来た。

で、通訳を解して事情を詳しく訊いてみたら、どうやらおばちゃん家(ち)の門は鳥居と同じ様な物らしく、腰から下の物はその鳥居(門)より高い所に干してはならないのだと言う。

ウブのお家はどこも門(入り口)が非常に小さくなっていて、かがんで出入りする様な感じの上、家は高床な訳だから、軒下や垣根に洗濯物を干すと自然門より高い位置になってしまう訳だ。

それで物干しも膝丈しかなかったのか!

確か部屋には一つ、バリの物干しが置いてあったと思ったが、この物干しというのがШ←こんな形の木製のタオルかけみたいなやつで、最初は物干しと思ってなかったし、

物干しと判ってからも、はっきり言ってあんまり干せないし高さも膝位までしかないので、只でさえ高温多湿なこの地でそれではなんだかサッパリと乾かない様な気がして使って無かったのだ(と思った。)

なるほど、コレを地面に置いて洗濯物を干すと門より低い位置に丁度収まる。

それが判るまでワタシは、庭木がいけなかったのかとか、ロープ張ったのがダメだったのかとか、垣根がダメなのかとか、洗濯物を移動させては怒られていた。

問題は、洗濯物を干す場所では無く高さだったのだ。

東の果ての小さな国に住む我が祖母も、北向きに干すな裏返しに干すな、朝早くに干せ、午後の2時にとり込め、と洗濯物に対して大変うるさい。

それも恐らくアニミズムから来る考えで、要するに彼女は『死んだ者(もん)』の行為(北向き、裏返し、左前など)に怒るのであるが、

ここのおばちゃんが嫌がる訳はワタシにはまだ判らない。

が、ワタシの日本的アミニズムから推測するに、下(シモ)の事は不浄であるので聖なる物より高い位置に置いてはならない、という事なのではないか。

おばちゃんと3人の娘は毎日キチンとプジャ(お祈り、お払い、その他儀式のこと)をしている。

その上、裏庭にはなんだかお寺の様なスペースがあり、時間になるとおばちゃんが神妙な顔で額の前で手を合わせている。

そういう時のおばちゃんは、実に真摯で清らかで、プジャの為に足元に少しの水を撒く姿は、下の方から黄色い光に包まれて、ちょっとこの世の人で無いかの様にかすみがかって見えた。

ワタシの実家は決して宗教に忙しい家ではないが、慣習的に年中行事はこなしている。

正月には神様専用の木の小さな皿に、これ又神様用に小さく切ったモチでつくった雑煮をやれ火の神様だ、やれ井戸の神様だと八百万の神に捧げている。(*1)

この庭のそこかしこには毎日、プジャで使われた小さなブーケ──竹で編んだ小さな皿に花を飾ったものでこの竹カゴは昼下がりにおばちゃんとその娘達が編んでいる──がそなえられている。

井戸の蛇口の上にも、そのかわいらしいブーケが日替わりでちょこんと乗っている。

それを見る度、「嗚呼、同じ自然に感謝して、自然に生かして頂いている民族なのだなぁ」と感ぜずにはいられない。

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このお家のお寺の様な所の更に奥の壁の向こうが村の集会場になっていた。

ひょっとしてこの集会場もこのお家が建ったのだろうか?ワタシが生まれた家のすぐ前はその辺りの大きな庄屋で、夏のラジオ体操の時はそこへ集まったものだけど、そんな感じなんだろうか。

よく判らないけどこの集会場は本当にここの家のすぐ裏で、そこでは冠婚葬祭を初め観光客用のガムラン演奏をやっていたから、

一番はじめはちゃんと切符を買って、おじちゃんの勇姿を見物に行ったものだけど、後は離れで寝ころんで、なまあったかい風に乗って来るそれを聞くともなく聞いていた。

ガムランはジャワ島にもあるが、一般にバリの物の方がガムランのつくりが小ぶりである様だ。

バリの中でも色々なガムランがあるが、代表的な物はゴングという大きなガムランをはじめ、鉄筋のような型、おわんをふせたような型、と何種類もの青銅器の数々と

クンダンと呼ばれるリード役の太鼓と、チュンチュンと呼ばれる手で打つ小さな5枚重ねのシンバルが入る。

ジャカルタのガムランは、このクンダンとチュンチュンが無く、代わりに中国の胡弓の様な弦楽器と、木の箱でできている楽器と、人のコーラスも入ったりする。

そして、一番の違いはジャワのガムランは王宮の音楽、王様の為の物であり、バリのガムランは神々に捧げる為の物だと言うことだ。

ジャワのガムランは王宮で奏でられる。

角力の土俵に柱をつけた様な広い舞台でゆっくりと奏でられる。

そのゆっくりゆったりとした旋律は、壁のないはずの舞台をすっぽりとつつみ込み、そこの空間をゆがめる。

たゆとう青銅の和音にのせて、たわむように人の唄声が重なって行く。

ゆっくりゆっくりと時間がずれてゆき、いつか王様が踊りや料理を楽しんだ頃へとワタシ達をいざなう。

踊りがこの世の楽しみを、料理がこの世の快楽を味わう最高潮のものだとしたら、このガムランは「時間」と「空間」をしごく贅沢にしたものかもしれない。

昔のジャワの王様は時間さえも自由にしていたのだろうか。

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おばちゃんから切符を買って初めて裏の集会場にガムランを聞きに行った時、ワタシはなんだか自分の地元の町の会議所にいるみたいな錯覚にとらわれた。

夏祭りに会議所で、その町の八木節の名人を今か今かと待っている、そんな気分で始まるのを待っていた。

やがて中国のドラの様な大きなガムラン、ゴングが鳴り、と同時に一斉に鉄琴様のガムランが叩かれる。

──速い。

そして複雑だ。

おじちゃんは既に普段の3倍くらいイイ男になっている。

バリの人は、よくジャワのガムランをバカにする様な所があるのだが、その気持ちもちょっと解る様な気がしてくる。

演奏者がみな若い人なのもうなづける。

ジャワのガムランは目の見えないヨボヨボのおじいさんも加わっていたりしたが、バリのガムランは誰かがそう言ってた通り、とてもとても年のいった人には体力的に叩けないであろう。

ガムランは、ゴング・グヒャールを除いて2台で1台の役割をし、その2台が微妙に音がずれて調律してある為、セットの2台を同時に叩くと音がうねるようなしくみになっている、のだそうだ。

つまり、一対のガムランを叩くと、既にそれだけで微妙に和音になっている上、対のガムランが各種ガムランごとに何対かあって更に各種ガムランは各パートごとに別れ、そこで更に和音をつくっているので演奏は非常にフクザツな「和音の音楽」となるのである。

そしてダメ押しに、各パートの和音は一音一音をほぐして、丁度ギターで言う所のスリーピッキング奏法の様に、一音づつ、ものすごく速いビート叩く為、より複雑にその青銅の音色は和音をつくり、和音が和音に幾重にも重なって、和音の洪水をつくる。

中でもおわん型の「レヨン」というガムラン(*2)は信じられないようなたわみと厚みの和音を作り出し、又キレの良いブレイクで、その演奏は東洋離れしたセンスで迫ってくる。

正にユニゾンの境地、最高潮の音楽だ。

ジャワのガムランが、就寝前にアナログのステレオで聞くレコードだとしたら、バリのそれはデジタル処理されたCDを、車載のデジタルコンポで高速をぶっぱなしながら大音量で聞いている時の様なものだ。

バリのガムランは、(バンドなんかやってて多少は音を聞き分ける事に慣れてる?筈の)ワタシの耳にもフクザツな物だった。

が、何でもそうだけど、むつかしいから、良いものとは限らない。

単純な物、やさしい物は、頭にもやさしい。

ジャワのガムランはうねりがたゆたい、眠りをさそう。

バリのそれは、先の例の様に大音量で長時間、デジタルコンポを聞き続けているとそうなる様に、神経が疲れて、眠くなる。

どちらが良いとは言えないし、どっちも好きだし、どっちかって言うと先に聞いた分、ジャワのガムランに愛着があるかな、とは思うけど、

「舞踏とのアンサンブル」という視点だけで捉えたら、それはバリのガムランの方が踊りとぴったりと合っていた様に思う。

踊りは、特にバリス(戦士)の踊りが素晴らしかった。

その時見たバリスはまだほおのふっくらとした男の子どもであったが、その后いろいろみた大人の演る、どのバリスよりもすばらしかった。

戦士の強さの象徴、ムキ出しにされた大きな目と、高く上げた肩、きんや原色のころもをなびかせ、ガムランの高なりと供に勇ましく回転する。

ゆびや足の先は先々までぴんと緊張し、全身一部のスキも無く、カンペキに戦士、バリスとなり、ガムランの音(ね)と完全にシンクロし、

ガムランに宿るという神と全く一体(ひとつ)になり、だってガムランを聞いてからではない、その目玉はガムランと共に紙一重程のズレも無く、動いた。

バリのガムランの踊りでは、若い娘がトランス(催眠状態、つまりキツネ憑き)になる「サンヒャン」というのが有名だが、ワタシが見たのはガムランががしょがしょがしょと鳴るとぱたりと女の子が倒れてしまう、という猿回しの様なものだった。

だがこれは、そんなものでは無い。

ジャワではガムランの音に人の声がからんで行ったが、この踊りはガムランの音と一つ。子の一挙手一投足が、洪水和音の一音となっている。

正に「ナナツマデハカミノウチ(*3)」。

芸事はかつて神へと繋がり、子は、昔の日本の人が言った様に、本当に神からの預かりもの、姿を変えた神そのものなのかもしれない、と感じた。

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一年中米が穫れ、花と、音と、舞いとが常にあふれる。あそこは本当に「この世」の地だったのだろうか。

インドネシアのバリ島中部には、そんな神々と人々が共に住む、小さな村がある。

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(*1)正月には・・・八百万の神に捧げる。
詳しくは→『わが家のお正月−民俗学的日常生活−』をどうぞ。  (*1)へもどる


(*2)「レヨン」は信じられないような和音を作り出す
これは確か「YES」というイギリスのプログレバンドも演奏に取り入れていた様に思う。(音もそうだけど、ギグのビデオにそれらしきものが映っているのを視た事がある。)

多分、スティーブ・ハウ(元のギタリスト)が演奏してた様に思うけどその辺は記憶があいまい。(ご存じの方がいらっしゃいましたら教えて下さいm(_ _)m)

それと先日TVで視たビートルズのビデオにもコレが映っていた。やっぱり憶測だけど、印度に入れ込んでいたジョージ辺りが奏でていたのでは?(お詳しい方、ご一報下さいm(_ _)m)  (*2)へもどる

参考:
YESオフィシャルサイト「yesworld

ハウのオフィシャルサイト「Steve Howe Guitar Rondo

ジョージのオフィシャルサイト「All Things Must Pass.com


(*3)「ナナツマデハカミノウチ」
「七つ迄は神の内」。子どもという存在は非常に命があやふやで目を離すとすぐに神様の国へ行ってしまう(死んでしまう)という事から、こう言われていた。

七歳までの子は神様から預かっている、殆ど神様の様なもので、従ってまだムラの一員として認められていない状態だった。

参考:
福崎町HP内、「柳田國男の世界」  (*3)へもどる

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