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ふぁいるでーた

おかーさんはからっ風。1・家庭不和とナショナリズム


通しNo .00044
〜なはなし
考えた事・熱く主張
〜のはなし
家族・ひと
せかい
生家・故郷じぶん世界
〜のころ
すごく最近
とき 記載しない
メルマガ配送日
 2002/04/22号


おかーさんはからっ風。1・家庭不和とナショナリズム

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まず、ワタシがこの人生において、
両親を含む家族に恵まれたこと、
そして、
あの母に育てられる機会を得たことを
天に感謝します。

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最近、TVで、それもバラエティからドラマからCMから時代劇まで!「家族が一番大切」みたいに言っている。

それは最近ワタシが良くTVを見るから目立つだけで、もしかしたらずっと前からそう言ってるのかもしれないけれど、最近いやに気になる。

確かに、家族は大事だし、ないがしろにして良いはずはないのだが、「家族が一番大事」「最後は家族」「家族だけが頼り」家族家族家族家族・・・とあんまり「家族の大切さ」を連呼されると、

まるで「家族」と呼んでいる、せいぜい両親と子ども、それに祖父母位の小さな集団以外は、みんな敵だとか危害を加える存在だとか、どうだって良いっていうような風に聞こえてくる。

それは自分たちの地域以外は汚れたっていいとばかりによその国の村に工場を建てて排水や汚い煙を垂れ流したり、自分たちの宗教の人以外は死んだっていいんだってテロやったり、自分たちの国の利益を守る為に集団殺戮(戦争)したり・・・

そういうのとなんら大差ない考えの様な気がする。

そもそも、「家族」と呼ぶところのものが現在の様な組み立てになったのも、東の洋の問わずたかだか100年位の事だろう。

ワタシがインドネシアのウブという村にいた時(*1)は、子ども等はてんでんバラバラ、好きな家でごはんを食べたり寝起きしたりしていたし。

ああ言った所は多分ムラ全体が「家族」って感覚なんじゃないかなぁ。日本も戦前はそれに近かった様だし。

日本がこんなに「家族が大事」っていう気分が高まった?のは先の戦争前以来じゃないか?まぁその当時は「家族」というよりは「家父長制」だったんだろうけど。

歴史に鑑みれば、日本は天皇制を確固たるものとするために家父長制をしき、バリバリと戦争をやって国民はお家やお国の為にその命を捨てて来た訳で。

有事立法やらPKO(*2)やら物騒な法案がゴリ押しされようとしている今、こぞって「家族」「家族」「家族」・・・って刷り込まれる様にTVで連呼されると、なんかちょっとどうも嫌な感じがしてならない。

ちなみに小泉首相は「備えあれば憂いなし」って言っている様だけれども、「備え」としては国民全員が入れるシェルターと、しばらくその中で暮らしていける為の蓄え・装備が第一なんじゃないかなぁ。

家庭用の「避難袋」にはカンパンやら水やら入ってる訳で。ピストル入れてる訳じゃなかろうに。

ワタシの友人で土木やってる人がいて、彼はワタシにエイキョウされて(?)測量の仕事辞めて世界旅行したり、帰国後ワタシにそそのかされて(?)青年海外協力隊行ってアフリカで井戸掘ったりしてた人なんだけど、

今は地元の土建屋に勤めて現場監督やってて、一昨年かな?市の仕事でシェルター作ったんだってさ。(偶然だけど、ワタシの家が最初その予定地で父が小躍りして喜んでたんだけど、変更して我が家はそのままあります。)

それがちっさくて「きっと市の偉い人が入るんだよ〜」って普段からやさしい物の話し方をする人なんだけれどもその時は又格別に淋しそうに言ってた。

話がそれたけど。

ワタシの父の母、つまりワタシの祖母って人がどうも「自分たち以外は敵」って考えの人だったみたいで、

叔母(父の妹)の話では、叔母、父、祖母は夜な夜な寝る前床に入ってからえんえんと他人の家の悪口(なんと!というか勿論、その中にはワタシやワタシの母も入る訳だが)を言い合っていたのだとか。

そして最後の結びとして「自分たちだけだ、信頼できるのは」と家族の結束を固めていたと言う。

それが為かどうか、いまだに父は母は言うに及ばず血を分けたワタシや妹も今ひとつ「家族」という感覚に乏しい。

ところで、ワタシの母は時に気性の大変激しい時があって、それは人間誰しもそうなんだろうけど、耳が悪く声が大きい事もあって、

誰にも「随分酷い女だなぁ」という印象が強い様だ。だいたいワタシ自身だって、この母シリーズの名前を最初「酷い母」にしようと思った程で(^_^;)。

まぁ事実として彼女はわがままで自己中心的で気性が激しく「酷い女」に違いは無いんだろうけど、祖母の様にそう言った他人の陰口は一切言わない人だったし今も言わない。

多分、言わないっていうより他人の事なんてどうだって良いんだろうと思う。いちいち気にならない人なのだ。

彼女はまぁ一言で言ったら「猫っかぶり」が下手で、姑(祖母)に酷くいじめられてて、時には祖母に煮えたぎったほうれん草を投げつけられたりしてたのだが、

そんな事は決して父には信じてはもらえなかった可哀想な女である。勿論、姑(祖母)は「猫っかぶり」の天才だ。

そもそも、祖母は父の結婚に大反対で、それは祖母が父を溺愛するあまりになんだけど、まぁ新婚旅行から帰った時から母は家に入れてもらえなかったと言ったら想像がつくだろうか。

その後も祖母は父と母どころかワタシとの接触まで遠ざけ、随分酷い意地悪をワタシ等母子にし続け、息子(父)との愛を育んで来た訳なのだが、晩年になってボケ始めたのをきっかけにその最愛の父に捨てられる事になる。

これは後から知った事だが、父は母と結婚して間もなく、同窓会をきっかけに「やけぼっくいに火がついて」愛人を持つ身になる。

しかし父は愛人のいる事を遂にバラさず、二十年以上の歳月、母とワタシ、妹を祖母と一緒にいじめ抜き、母の親戚縁者友人知人の家をまわり歩るって母が悪妻だと吹聴し続け、やっと離婚にこぎつけた。

ワタシが母の事を「酷いなぁ」と思う事の一つはそれだ。父は母と離婚したくて特にワタシに酷く暴力をふるった。だがしかし、そんな事では母はびくともしなかったのである(^_^;)

まぁそれはともかく、父は晴れて母と離婚した訳だが、ところがどっこい、自分が買ってやったマンションをある日訊ねたら、最愛の愛人は別の男と住んでいたそうである。

父は心身共にボロボロ。ワタシに夜な夜な「実はおとーさんには恋人が居て、で、フラれちゃったんだよぉ〜(;_;) 淋しいよぉ〜」と泣きながら電話かけて来たりしてた。(きっと本人覚えちゃいないだろうけど)

ところがそんな矢先、祖母がボケて来た。父は祖父の老いや病気も許せなかった人だが、祖母に対しても全くその通りだった。

ましてや、一番信頼し、何でも言うことを聞いて来た、いわば「自分の脳」とも言える祖母がボケて来た訳だから、彼は管制塔を失った飛行機か、いや、操縦席を失った飛行機の様なものだった。

父は焦りと不安と苛立ちで祖母に暴力をふるう様になった。祖母としては正に青天の霹靂。昨日まで、ラブラブで、妻を別室に残し、自分の傍らに寝ていた息子が、今、腹の底から自分を疎ましく思い、殴るのだ。

常々祖母を見ると、人生の内いくら不幸な思いをしても良い、死ぬ前の10年が幸せなら、と思ってしまう。死ぬ前の10年が不幸というのは、なんかとっても人生全てが不幸の様に見えて来る(祖母はまだ10年未満で元気ですが)。

そんなこんなで祖母の面倒を見てくれる人をという事で急速に彼(父)の再婚熱が高まった訳だが、先の愛人以外に「この人なら」と密かに想ってアテにしてた女性三人に立て続けにフラれ続け、

最後の最後、這々の体で泣きついたのが母。しかも浮気の事や今までの悪事の数々なんて無かった事の様に謝まるどころかそんな事一言も口に出さずに(多分、その当時、母はまだ父の浮気の全貌を全く知らされてない)、

「何でお前は再婚してくれないんだ!」と威張っている始末。

まぁ、それからどうやってそうなっちゃったかは今回は割愛するけれど、この夫婦は血で血を洗う争いに二十年以上の歳月を費やし周り中の人々を騒ぎに巻き込んで離婚、

十年位(実はワタシのあずかり知らぬ所で離婚が成立してた為、はっきりわかんのです。)の離婚期間を経て、再婚したのである。

もぉ民法もへったくれも無い世界である。「事実は常に法より先行する」とよく民法の先生が言ってたけれども、全く以てその通り!と思う。

父はさっそく母に祖母を押しつける。

ところが、母と来たら、あれだけいじめ抜いて酷いことをされ通した姑の着替えをし、オムツを変えてやっているのである。

相変わらず父は母の事を鬼嫁よばわりし、感謝の気持ち一つも持っていない。やっぱりどこまでも父にとっての「家族」とは、母(祖母)と妹(叔母)だけなのだろう。「三つ子の魂百まで」か。

祖母の世話をする母の姿を見るとワタシはなんだかやり切れない気持ちで一杯になるが、当の母は「だってやってやんなきゃしょうがないがね」と言うだけである。

「罪を憎んで人を憎まず」なのか、いやいやそんな事ではないんだろう、多分、母に取って隣に大変な人が居たら敵であろうが味方であろうが助ける、ってのが当たり前の感覚なのだろう。

常々ワタシは母に大切にされて来なかったと思って来た。

それは、父がワタシを殴った時も平気のへいざだったし、学校休んで父の浮気調査しろとか言ったし、進学決まってたのに酷い手使って就職させられたり、子どもに隠れて菓子喰うし・・・(^_^;)

あと、上手く言えないけど、ワタシを「子どもと思って特別扱い」しなかったのである。

それは「子ども扱いしない」という意味と、「我が子だからと言って他人の子と区別しない」という意味との二つがある。

どっちも当てはまるが今回は後者のケース。

例えば、簡単な例を挙げると、ワタシや妹が彼氏や友達を夜中に連れて帰って来て、朝、母が起き出して他人が寝てるのを家の中に発見してもさして驚かない。

ふつーに「もぉ起きなー、朝ご飯何がいーん?一体幾時頃帰ってきたーん?」とかゆっている。

そして他人の子も別段ワタシ等と区別せず、特に男の子だと自分に男の子が居ない事もあって張り切って料理をし、「ほら、これも食べりー(*3)」などと言ってかわいがっている。

彼女は、ワタシも、他人の子もあまり分け隔てが無い。それはよぉく考えてみたらあのインドネシアのお母さん達と似ているかもしれない。

今思うと小さなワタシはそうした「特に自分の子だからって特別扱いしてかばったりかわいがったりしない」母の振る舞いに気付く度、

酷いと思ったり不満に思ったり、母に愛されてないんじゃないかとも思ってた様な気がする。

でも、母は大変に情に厚い女である。

それは一見わがままと相反する様だけれども、それはおいおい書いて行くとして、現実の母は、あの何十年来の恨み辛みのあるだろう祖母や父の世話を今、

あれはあれ、それはそれ、と言った感じにごくごく当たり前にやっている、こだわりが無く、愛があり、非常に全うで面倒見の良い女である。

きっと世の中が母の様な人だらけだったら戦争も起きないんだろう。

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<追記>現在の祖母(2002/ 4/23 8:23現在)は色々な理由で施設で暮らしている。

息子(父)のいびりから解放されて、彼女は今、益々元気で朗らかだ。

先日ちょっと蓐瘡出来てたりして(足腰立つのに何故か)心配したけど、今年でおんとし八十六(多分)、死ぬ何年か前は案外幸せな日々を送っているのかもしれない。

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(*1)ウブという村にいた時
の話は、
『ウブの夢−南国のおしし−』
『ウブの人達〜前編〜』
『ウブの人達〜後編〜』などに。  (*1)へもどる

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(*2)PKO
例えば国連軍などと違い、PKO派遣は、各国から軍隊を出し合う為、結果的には各国の軍隊軍備をエスカレートさせる危険がある。

参考:「憲法第九条」小林直樹著,岩波新書  (*2)へもどる

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(*3)食べりー
「お食べなさい」の親しみのこもった上州弁。詳しくはこちら。  (*3)へもどる


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