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ふぁいるでーた

旅の記録と記憶と旅行記と


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とき '92 7月-'92 10月

メルマガ配送日
 2002/07/15号


旅の記録と記憶と旅行記と

先々日(恐らく2000年3月27日)、旅のお友達(例のトイレットペーパーの、って書いたらもうすっかり彼女=トイレットペーパーみたいで申し訳ないなぁ(^_^;)。『“果汁先生”〜共同生活の常識?!〜』『徒然にN.Y.』に彼女の記述があります。)

がウチに遊びに来てくれたので、久しぶりにN.Y.で撮った写真を出して二人で見た。

例のN.Y.旅行の時、彼女はカナダに住み着いていて、N.Y.へは短期旅行で来ていたのだけれど、彼女はN.Y.の写真、というかカナダを含めてその時の旅行の写真が全く無いのだという。

だから、ワタシの撮った写真を見てとても喜んでいたし、色々その時の、もう忘れていた出来事なんかも思い出してたみたいだった。

その旅行は、恐らくこれまでの彼女にとって、一番期間の長い旅行だったのだと思う。

偶然にも、ワタシも人生史上一番長丁場になってしまった例の旅行の時の写真というのが全く無い。

それは何故かと云うと、ケニアに行った時(のことは『よだれの出る瞬間。』にちょこっと書いてあります。)のことが尾を引いていたからだ。

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ケニアに行った時、ワタシは小六の頃からの望み─ケニアに行って動物にまみれたい!─という┼年来の思いが果たせる、とばかりに写真なんて全然撮ったコト無いのに、写真機を二台も持って行った。

幸い、というか運悪く、というか、その当時付き合っていた彼が写真マニアだったから、その彼から一眼を借りて、んで自分ではバカポンカメラをこれまた父か母から借りて出かけた。

現地では、初めて見る野生動物に夢中になってシャッターを切った。

何本も、何本も毎日写真を撮って・・・でも、サファリの終わりが近くなるにつれ、ワタシはすごいジレンマに襲われるコトになった。

・・・乾季のケニアはそれはもう美しくて、朝も昼も夕方も晩も、そりゃあもう素晴らしくて・・・

早朝の、世界が空の青と大地の緑との二色になる瞬間も、昼間の影の無い木々も、石も、動物も、でっかいでっかい太陽が火の玉となって丸い地平線にしみじみと沈み込んでゆく夕暮れも、漆黒の闇に天の川が広がる夜も・・・

もう、瞬きをする間も惜しい位にその光景を自分の目玉で直に見続けたくなってしまって・・・動物の写真は撮りたいんだけれども、その様をファインダー越しに見る時間すら惜しくなってしまって・・・ちょっとでもこの光景を自分の目に焼き付けておきたいという衝動にかられてしまって・・・

「印度放浪」(出版: 朝日新聞社 )の藤原新也が同著書の中で、「印度は「“何を撮るか”じゃない、何でも絵になってしまうから、“何を撮らないか”が重要なんだ」という様なことを言っていたけれども、ワタシはこのケニアの時以来、しばらくは旅に写真機自体を持ち込まなくなってしまったのだ。

だから、それ以降の旅の写真は殆ど無い。

でも旅を終えると、全く写真が無い、っていうのもさみしいもので、その反省というかリハビリでN.Y.へはバカポンカメラを一つ、持って行ってたのだ。

先の彼女がどういう訳で写真機が無かったのかは知らないけれど、やっぱり「今までの人生史上で一番長い旅」の写真を持っていない者同志だとわかって、

「なぁんで写真が無いんだろ。写真を撮っておけばよかった」

とさみしく言い合った。

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おまけに、その「人生史上最も長い旅」の記録や日記も「肝心な所」に限って残されていない。

このメールマガジンを書くに当たって、記憶があやふやな所とか、正しい地名等を調べる為、たまにワタシは自分の「旅ノート」を開くんだけれども、そういった「肝心なコト」に関する記述は殆ど書かれてなかったりする。

自分が書きたい、思い出したい、忘れたくない、すごく印象に残った出来事や期間に限って、そこだけバカ〜っと日記やメモがすっ飛んでて、ど〜でもいいようなコトばかりが記録に残っている。

というコトを話したら彼女も全くその通りだという。

きっと、「その時」は「その出来事」を受け止めるだけで只精一杯、無我夢中で只生きてるから、そのコトを書き留めておく余裕なんて無かったんだろう。

旅先でノートを付けられる時、なんていうのは大抵何にも無くて、こころも体も落ち着いていて、荷物も下ろして、時間ばかりがある時に書いてるからこ〜ゆ〜コトになっちゃうんだろなぁ、というコトを彼女と話した。

だから、本当にたいせつなコトや、その時感じたコトは、何にも「記録」というモノが無くて、それは只、自分のこころの中にだけある、って言ったらすごく美しいコトの様なんだけれども、

その実色々なコトが風化してしまって、それを「伝える」というコトは時間が経てば経つ程、今現在だって一日、一日おぼろになってしまっているのに、例えば自分の子どもや孫が出来た時、その子達に話してやるのには難しくなって行ってしまうだろう。

そんな時、写真や日記や、ともかく何かの「記録」があれば、それをきっかけにすごく容易にそしてものすごくリアルに、その時の空気や肌の感じや知らないおばちゃんが言ったことすら、ことこまかに思い出すコトだって出来るのに・・・

「忘れてしまう」もしくは「思い出すことが無くなる」というコトは、自然の摂理なんだろうし、ある意味人間が安心して生きて行く為の蘇生術なんだろうけれど・・・

それ(写真や何か旅の記録)が無い、ってコトは、何となく自分的にはちょっとしょんぼりってなっちゃうんだよなぁ・・・。

まぁ、自分の中にだけあってそれが風化していく、っていうのは、何も風に吹かれて只ぼろぼろにすり切れてゆく、ってだけじゃなくて、土にまいた水みたく、もぉ、「それ等」は、自分の中に吸収されてしまって「自分」というモノをつかさどる一部になってしまっているのかもしれないなぁ・・・

そう考えた方がなんか良いよなぁ、なんても思う。

でもでも何度も話しをひっくりかえしちゃって申し訳ないけれども、やっぱり「肝心なコト」こそ「霧の中」で、それは日々風化してしまって行って、そうなって来ると、もう、その様々な「貴重な」出来事達は、本当にあったかどうか、自分たちは本当に旅していたのかどうかさえもあやしいくなって行ってしまうよネ、と彼女と話し合った。

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日本人の「長期旅行者」のヒトタチを見ていると、やっぱり写真機持つ派と持たない派に分かれるみたいで、いちいち聞いてみた訳じゃないけれど観察して見ると、持っている人はものすごく良いカメラを持っていて、持ってない人はインスタントカメラすら持ってない、って感じにおおかた分かれてるみたいだ。

そして、大抵はカメラの有無に関わらず、「記録」にしがみついていない人の方が面白い旅をしている。

それは数々出版されている旅行記に関しても言えるコトで、先の「印度放浪」にしても、有名な「深夜特急」(沢木耕太郎 著 出版: 新潮社)にしても、たいした旅はしていない(という印象が当時はあったのです。ファンの方、ごめんなさい〜m(_ _)m)

特に「深夜特急」の方は読み始めてすぐに止めてしまった。

つまんなかったからだ。(*1)

もしかしたらどんどん読み続けていたら、だんだん「スゲー」って云う旅行になって行ったのかもしれ無いし、読む前の期待があまりに大きかったっていうのもあるんだろうし、今のワタシにとっては面白いのかもしれないんだけれども、ともかく、その時はつまんなかったのだ。(嗚呼、ファンの方重ね重ねごめんなさいm(_ _)m今は又全然違った印象を持っています。)

それに読んだ時期も悪かったんだと思う。旅から帰ってまだ日が浅かった頃だったと思うから。

「なんだ、こんなもんか」って感じだった。

それよりも、旅している最中に出会った「旅の強者」達の武勇伝の方がずっとおもしろくて・・・

当時全くクローズしていて旅行者にはまず入国不可能と云われていたティベットに、ずっと中国人になりすまして中国で生活して中国人っぽい雰囲気を身につけてから中国人にまぎれて崖から落ちそうなローカルバスに乗って、

途中高度5.000メートルを超える峠をモーローとしながら越えてようやく潜入に成功した話しとか、前書いた、スーパーカブの彼の話し(『バイクとメディテイション・リング』)、

夫婦でイカダを作ってアフリカのジャングルの密林の合間を流れる川を渡って来た人とか、ずっとSLを追い続けている人、半年ごとにお金を貯めて、中国のある小さな村にばかり、ずっと同じ所に通い詰めてそこの民族のコトを勉強している人・・・

みんなその土地の土と風と文化と人とに尊敬と愛を持った深い旅をしている人達ばかりだった。

だから、活字になって流通されてみんなの手に渡る「旅のハナシ」なんて、案外つまんないもんだなぁと思った。(だからワタシの話しなんて、ホントつまんないんですヨ(^_^;)。たいした旅もしてないし。)

どんな旅行記を読んでも、それは同じだった。

現在出版されている、数多の「旅行記」から比べたら、「深夜特急」や「印度放浪」は、その中ではひと味違ってやっぱり秀逸って云わざるをえないんだけども、

でも、「旅」の「内容」としては、ワタシをう〜ん、と唸らせてくれる程の旅じゃあない。(*2)

余談だけれど、「本なんか書いてる奴はたいした旅をしていない」てなコトを香港の安宿でいい気になって話していたら、偶然その中に旅行記を出版していた人がいたらしくて申し訳ないことをしたと思っている。

でも、その場に居合わせた人達もやっぱり同じ様なことを言っていて、例えば旅先でずっと時刻表ばかりを書き写していて、全く「旅」をしようとしてない人がいた、とか

「地○の歩き方」の仕事で来ているヤツが何の苦労も無しに編集室から支給されたお金で取材もそこそこに札びら切って食事してた、とか、色々おもしろい話しも聞けたんだけれども。

まぁ、「旅」っていうのは流動的で通りすがりのモノ、そしてやっぱり生モノだ、って云うことなんでしょうか。

・・・だれもその「旅」を切り取ったり、持ち運んだりは出来やしない、ってコトだよね。音楽と一緒でさ。ちがうかな?(*3)

記録に残っていない旅こそ面白い。

だからもし貴方がリュックを背負って旅に出たとしたら、その貴方の旅はそれまで読んでいたどの旅行記よりも面白いと感じるだろうし、運良く旅先で「旅の強者」に出会えたら、もっともっと面白い話しが聞けると思う。

実は、例の「深夜特急」も、そんなステキな「旅の強者」に教えてもらった本だった。

でもその人自身は、「深夜特急」に書いてある旅なんかよりもずっとずっとすごい旅(とワタシは思った)をしていたのに、彼はその本を「俺のバイブル」だと言っていた。(なので帰国してから多大なる期待を持って早速読んだという訳です。)

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他人の「旅行記」は多分、どれもみんなその人個人のちっぽけな旅の記憶と記録とノスタルジーで、

そして旅に憧れる者にとっては旅立つきっかけと勇気を与えてくれる、いつの時代もバイブルであり続けるんだよね・・・きっと。

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(*1)つまんなかった
これは旅のレベルというか、旅の仕方というか、長期旅行者特有の価値観による「旅」そのものの「おもしろい、つまらない」であって、作品としての「つまらない」ではありません。

この二冊に限らず、例えば移動が空路だったり現地のことばでなく英語でコミュニケーション取ってたりっていう記述が目に付いてしまうと、どうも先入観で「つまんない」とか「たいしたことない」って思ってしまう傾向にあるんです。ごめんなさいm(_ _)m

一冊の本として、「作品」として捕らえたら、両作品はとても旅先の土地に対して、人に対して文化に対して愛情と深い感慨を感じ、とても好感が持て、読んで面白く、大好きな本のひとつです。旅関係の本だったら文句なく三指の内に入ります。

ちなみに、もう一冊は「香港旅の雑学ノート」(山口文憲著 新潮文庫)です。  (*1)にもどる


(*2)活字になってる旅なんてたいした旅じゃない
その後イロイロ考えたんですが、相対的なモノもあるんじゃないかなぁとか考えました。

例えば今、貴方にパソコンの前でワタシが書いた「旅の強者」の話しを読んで頂くのと、

ご自身が実際にザックを背負って、自分の出来る事や限界な事とか自分が今どんな旅をしててこれからはどんな旅を目指しているのか、とか、つまり自分の旅のレベルみたいなものを実感として肌で感じている時に(つまり旅先で)、その話を聞くのとではやっぱり感じ方が全然違って来ると思う訳です。

今は世の中が進んで色々な冒険や旅のレポやドキュメンタリーを日本に居ながらにしてお茶の間でイロイロ楽しめる時代です。そんな状況では、ともすると自分の感覚が麻痺していて、刺激的なもの、excitingなもの、わくわくしたりドキドキするもの・・・の感覚がズレているかもしれません。

『長期旅行者のかてごりー』を公開した後、「旅の強者」がしてくれた話を配送して下さい、というご意見を頂いた事もあるのですが、ワタシにはその時ワタシが感じた「すげぇ!」っていう感じを

『長期旅行者のかてごりー』にも書いた通り、テレビカメラが見守ってくれている訳でもない、トランシーバーや衛生携帯を持たされてる訳でもない、誰も自分を知らない、身分を明かすモノと言えば日本語と英語のみで書かれた赤い手帳只一つ、たとえここで死んでしまっても誰にも気付かれない、探してもらえない、

そんな立場の著名人でも何でも無いごくごく一般市民の人達の「スゴイ旅」を、

ワタシはちゃんと伝えられるだろうか、感じたままに書いて、大げさや嘘や演出や欺瞞が無く、真実だけを書いて、それを伝える事が出来るだろうか、と思うとやっぱり不安なのであんまり書けないでいる訳なのです。    (*2)にもどる


(*3)「旅」を切り取ったりできない
っていうより旅行中「記録」に始終してる人ってきっともう目的と手段が違って来ちゃってるんだろうな。  (*3)にもどる


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