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ふぁいるでーた

おかーさんはからっ風。2・チロリアンテープとカール


通しNo .00045
〜なはなし
考えた事・熱く主張
思ひ出・のすたるじあ
〜のはなし
家族・ひと
時事・しゃかい
せかい
生家・故郷じぶん世界
〜のころ
入学前
小学生1
小学生2
すごく最近
とき 記載しない
メルマガ配送日
 2002/04/26号


おかーさんはからっ風。2・チロリアンテープとカール

ワタシは「目立ちたくないのに目立つ子」だったと思う。

そもそも転校生だし。(小二時)

転校した日はパンダ状態でお休み時間に女の子があれこれ校内を案内してくれて、その少し後ろからクラス中の男子がゾロゾロとついてまわりました。

ワタシは今もそうなですが、当時はもっと男の子の気持ちというかオトコゴコロというものを解さない人でして、「よっぽど転校生がめずらしいのかなぁ」と別段気にも止めてませんでした。

が、やっぱり女子の羨望とやっかみを受けまして、更にそういう感情にも疎いワタシはその時の女の子の皆さんに対してうまくフォローも出来ず、結局パンダちやほや状態は長くは続きませんでした(^_^;)。

今思うと当時はのオトコゴコロとかオトメゴコロとかいうよりは、人の気持ちを思い計る事がよくできなかったんですな。(今でも出来ているとは言い難いわけですが(^_^;))

でもま、それは兎も角として、お街からリハウスして来た女の子は学校で只一人、エンブレム付のブレザーを着てまして、ながーいお下げを結ってました。

そんな子、転校した学校には一人もいませんでした。女の子の髪型はたいてい「段カット」と呼ばれるショートカットが主流でした。

ブレザーは生地が固くて第一すましててワタシは大嫌いだったんですが、母が無理矢理着せたんです。

お下げも母の意思でした。彼女はお下げとセーラー服が正しい女子のあり方と思いこんでるフシがありまして、入学式には制服でもないのにそのカッコをさせられました。

ワタシは頭が薄かったので(*1)小三まで前髪以外の髪を切った事がありません。

恐らく、ワタシが生まれて初めて自覚的に母の指示に異議を唱えたのは、この小三の断髪の時だったのではないでしょうか。

長い髪は、転校前に前の家に住んでいたせっちゃんという5つ上の大好きなお姉さんが、ながーいストレートだったので、せっちゃんの真似をしたいワタシとしてはとても気に入ってました。

でも、先生にプールが始まるから切りなさいと言われたのです。

「先生に切れって言われたから切る」と言うワタシに対して母は酷く反発しました。

「どーしてプールだからって切らなきゃいけないん?」「自分でちゃんとお髪の始末が出来るのにどうして!」「そんなの個人の勝手だがね!」母はまくし立てましたがワタシは母の言っている事が全く理解出来ませんでした。

それで無理矢理近所の美容室に行って切ってしまいました。自分としてもお下げは惜しかったけれど、このお下げが「転校生」の証の様な気がして切ってしまいたかったし、なにより学校のきまりでは(そんな決まりなかったんだけど)従うしかないと思ったのでした。

プールと言えば、忘れられない事があります。

小学校に上がって初めてのプール、そのプールの時間の時に着るスクール水着に、なんと母はを縫いつけてしまったのです。

とは、主に花柄などの刺繍がびっしりしてあるカラフルな布製のリボンの様なテープの事で、これを母はスクール水着の襟口や袖ぐりを縁取る様にぐるぐるぐるりと一周させて縫いつけてしまったんです。

勿論、スクール水着は決められた学校指定のものですから、ワタシはそれを見た時、「ど・・・どうしよう、あーなんてコトを。どーしてくれるんだぁあ!こんなの着らんないよーっ」という気持ちで一杯だったんですが、

当の母は「せっかくこんなにかわいくしてやったのにッ!」とヘコんでる娘を後目に逆切れしてます。

ワタシはしかたなくその水着を持って学校へ。

もう恥ずかしいのと怒られるんじゃないかと思うのとで気分はどん黒。

予想に反して転校前の学校ではその水着をとがめられはしませんでしたが、やっぱりモーレツに恥ずかしくて、しかも、こんな ヘンな イカシチャッテル改造スクール水着着てんのなんて全校で只一人だし、当然ワタシ(の水着)はみんなのド注目のハズなんだけど・・・

何故かみんなその事に触れないんです。

いっそ、男の子に「ヘンなのー」とか囃し立てられた方が気が楽だった様にも思いますが、転校前の学校の男の子は割かしじぇんとりーだった様です。

かなりたってから、ある女の子が「それ、どうしたの?」と聞いてくれて

(よくぞ聞いてくれました(;▽;))

「コレはね・・・ナントカテープって言って・・・ええと、ちろりあんてーぷ(だったかな)えーと、えーと・・・

おかーさんが勝手に付けちゃったの・・・!!

(だからワタシがこうしてって頼んだ訳じゃあないのよー(;▽;))

と、(かっこ内)の内なる叫びが通じたかどうかは別として、やっと言い訳する事が出来て少しほっとしました。

おまけにこの、布の上に細かい糸で刺繍ぎゅうぎゅうなんで水につかると当然縮むんです。するとスクール水着をきゅうぅぅぅぅっと締め付けて苦しくて仕方ありませんでした。全く実用向きではなかったです。でもかなりサイズ的にキツくなるまでそれを着せられてました。

その後だいぶ自分が成長して「今年は・・・買うかぁ」とお許しをもらった時、後にも先のも、背が伸びたのをこれほど嬉しいと思った事はありませんでした。

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母の「学校指定」の物に対する魔の手は勿論、スクール水着に限った訳ではありません。

夏休みの宿題の朝顔の観察日記、アレもふつーは理科のノートかなんか、指定のノートに指定の書式でつけて行くわけですが、そういうのやってるともう隣から母が目をまんまるにして、

「ちゃあちゃん、この日記さ、折り紙でつけよーよ!模造紙にさ、折り紙でおった朝顔を咲いた数だけ貼り付けて行くん。そうしよっうん。それが良い!」

「!!!そんなに沢山折り紙なんて貼れないよー」「だから(観察ノートなんかやめて)模造紙にするんさー」

その時のワタシはまだ模造紙というものを知りませんでした。かくして母が手に入れて来た「模造紙」は畳2畳、いやそれ以上ありそうなでっかいヤツ。ええ、切らずに使いましたとも。

こんな事もありました。

算数の時間にカレンダーを作っていくという宿題がありました。それは図画じゃなく算数の宿題だったので、藁半紙に予め先生がカレンダーの枠を印刷してくれてて、そこへ曜日と数字を書き入れいくというものでした。

ワタシが宿題をやっていると、母が又突拍子も無い事を言っています。

「ちゃあちゃんちゃあちゃん、このカレンダーさ、周り(余白)に絵を描こうよー」「やだよ、そんな事したらおこられちゃうよ、先生はここに数字と曜日を書いて来なさいって言っただけだもん。」

「なーんでーぇよぉーお!キレイにしてどこが悪いーん、こんなん、たぁだ数字書くだけなんて!つまんない、よっぽど絵書いた方がいいがー!」押し問答が続くもついにワタシは黄色いお花を沢山描きました。

しかも、学校で使うことは禁止されているサインペン、しかも色つき!(←当時の小学生にとってそれは一大事だったんですよ。)で、です。

(をを!なかなか可愛いじゃん♪)と思ったのもつかの間、とたんにワタシはすごく怖くなってわんわん泣き出してしまいました。「怒られる〜怒られる〜先生に絶対怒られる〜」

その時は普段泣かないワタシがあんまり泣いたからか、母もちょっと不安になって責任を感じたのか、いや、多分、自分の考えは正しいと立証したかったのだと思うのですが、

ともかくまぁ夜も更けてから母が先生のご自宅に電話しまして「おこられない」という免罪符をもらってやっとワタシは泣きやみ落ち着いて見てみますと、なるほど、確かに何にも無いよりゃずっとグっとクるカレンダーになってます。

それでも次ぐ日はおそるおそるそれを持って登校しましたが。

・・・全く横暴な母です。いつも自分の考えや好みを押しつける(*2)んだから(でもワタシよりゃセンス良いんだよな、実際(^_^;))。

でもでもカールだってチーズ味しか買ってくれなかったんですよっ。カレーは不味いとか言って。カレー味、食べてみたかったのに。

ラーメンは「チャルメラ」、レトルトカレーは「ボンカレー」、菓子パンは「フラワーカップ」、全部母の好みでした。身体に良いとか悪いとか、栄養があるとかないとかじゃないです。決定基準は全て母の好みか否かのみ。

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そんな母と今年(2002年)の春先、地元のイトーヨーカドーで一緒にお夕飯のお買い物しましょってコトで待ち合わせしたんですが、例によって一向に会えません。携帯も出ません。

しかたなく館内放送してもらいます。待ち合わせ場所はわかりやすい様にランドセル売り場の前に。

って一体何色あるんでしょう?このランドセルさん達は。色とりどりのランドセルが壁一面にバウハウスの展示かウォーホルの絵みたく並べられています。

その前には茶髪の子どもを連れた親子連れが。

そうか、おかーさんはちょっと時代の先を行ってたのかもしれないなァ。このカラフルなランドセルも今はそれ程買う人いないんだろうけど、何年か後には違うかもしれないしなー。

確か、子どもの髪型の事で人権を争った訴訟もあったっけ。

んー、そうか、おかーさんは、先行ってたっていうか今思うと案外しごく全うでしかも感性が豊かだったのかもしれないなぁ。時代と地域にマッチしてなかっただけで。

ひきかえ、ワタシの頭は随分と固かったし第一無知だったよなぁ。いつも四角四面でクソ真面目で神経質でちぢこまってて、言われたら言われたっ切り、まんまやろうとしてたしなぁ。今では考えられないなぁ・・・

やるかやらないかは別として、「発想」は枷なんか無い方が、いや枷があったらもう「発想」とは言えない様な気ィするなぁ。

アサガオだってなぁ・・・もうちっとワタシが頭柔軟だったら「お!良いねえ。でもやっぱノートに貼った方がいーと思うから折り紙をちっさくしてみようよ」くらい思いついたかもしらんなー。

あーでもどうだろー?でっかい方がかわいい!とか切り替えされてたかなぁ・・・でも実際でっかい方がかわいいかもしれないしなー・・・ノートじゃ厚みがすんごくなっちゃってのり剥がれちゃうかもしんないしなー・・・

・・・うーん・・・

「ちゃあちゃん!何やってるん、ちっとも居ないんだからッ」

怒鳴りながら11時の方向から母登場。一緒に買い物しようねって言ってたのに、もう既にぱんぱんの買い物袋下げてるし。

(もう買い物は済んじゃったのネッ(;▽;)ワシ、ずっとアナタをお探ししてましたのに)

でも、まぁ、すごく重そうだから持ってやるよ。

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(*1)頭が薄かったので

いや、ハゲって訳じゃないんすが。(薬に当たってハゲたコトや疲れてハゲつくったコトはありますが。)

ワタシは生まれた時から髪が薄くて、おまけにまっ茶で日に透けるとハゲに見えちゃう位だったんす。

「コワくて切れない」って母がよく言ってましたが(^_^;)。

全く七五三にお髪が結えるのだろうか、ちゃんとその時までに生えて来てくれるかな、ってのが我が家の関心事の一つでありました。

祖母にいたってはそんな赤まっ茶な髪で嫁に行けるのかという発言まで(^_^;)昔の人ですね。

でも二十歳過ぎた当たりからなんか自然に黒くなって来ましたよ。(多分、東南アジアの旅行以降)あいかわらず髪は少なくってやんなっちゃうけど。

ちなみに旅行したら腕とか足の毛も生えて来ました。体毛、全然無かったんすけど。  (*1)へもどる


(*2)全て母の好み

子どもの権利とか子どもの選択権とかが最近重要視される様になって来て、近頃ではまだ訳もわかって無いような子どもに一生懸命、
何か選択させたり決めさせようとして子どもの方も決められなくってグズグズやっててずっとずっと決まらずにイライラ焦れてるお母さんとかよく見かけますが。

昔はワタシも母の事、横暴だとか酷いと思ってたし、今も思ってる訳なんですが、実は子どもの頃のこうした母親の好みの押しつけとか母親の勝手な判断って意外と重要で意味ある事だって事が最近の研究でだんだん判って来たようです。

この事については、大学の研究室で勉強した事もあわせて、おいおい自分の実体験として書いていけたらと思っています。  (*2)へもどる


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