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ふぁいるでーた

「Fuckin' Blue Film」


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 2002/05/12号


「Fuckin' Blue Film」

疲れたワタシに「課題図書」が届いた。

ワタシも何冊か人に貸す為だけの「貸し出し本」を持っているが、そうした類の本をこちらが借りるのは本当に久しぶりだ。

この前(本人の希望もなく)渡されたのは何年前だろう?その時のアライモトコはまだ手元にあって、一文字も読んでない。

今回お借りしたのは「Fuckin' Blue Film(ファッキン ブルー フィルム)」、藤森直子さんという人の本だ。

実はまだ全部読んでない。

最初からちょっとまとめて読んで、真ん中はとばしとばしで又最後の方はまとめて読んで、って感じで読んだだけだ。

なんつーか、まだことばに出来ないけど、今は全部読んでしまえない。

(でも斜め読みとかはしてないよ。ちゃんと読んでるよ。)

ワタシにはこういう事がよくある。

読む方だけでなく書く方もそうで、書き上げてしまうのが恐ろしい様なもったいない様な気持ちがして中途半端にしてしまっている文章が沢山ある。

この"風街"でも最終回が書かれてない連載や、後編の無い前後編なんかが結構な数、そのまんまになっている。

人付き合いもそうで、人といい頃合いで「バイバイ」出来ない(母親的に言うと「アバできない」)。ずっとだらだらと遊んでしまう。

それでよくウチには人が泊まってくし自分も終電を逃したり、友人にも帰宅が遅れて迷惑をかけさせてしまったりする。(この本を貸して下さった方にもそうでした。ごめんなさい。)

こうしたワタシの「終われない」クセをフロイト的に解釈すると、ワタシは肛門の感覚を楽しんでウンチを出し惜しんでるしみったれという事になるが、そこまでわかっててもこのクセはなかなか直らない。

さて、「Fuckin' Blue Film」である。

この本は、ネット上に公開していた著者の日記をまとめたものらしい。

全部読んでないのに感想文もないもんだと思うが、今書く。まず、申し訳ないがその書かれている内容そのものは、ちょっとこう書くとやな感じになっちゃうけど、この本の帯に赤文字で書かれている様に、「小説の様な事件」でも「不可思議」でも全くなかった。ワタシにとっては(*1)

そして結論というか、この本の核みたいな部分も新鮮でも目新しいものでも無く、さしたる発見もなかった。

只、彼女(著者)の淋しさや、千鳥足の様な頼りない感じが品よくうっすらとにじみ出てて読んでて心地よかった。

「表現」ってこういう事を言うなのかなぁ。「内容」のおもしろさ、発見や結論のおもしろさ、そういうのじゃない「表現」のたわみというか余裕というか、そういうものの楽しさ。

志賀直哉の小説みたいな、おしろい粉を噴いた様なあわい光。

貸して下さった方にお礼を言いたい、どうもありがとう。

と同時に自分はもう淋しくないのだな、と気付いてしまった。いや、そんなのは少し前から気付いてた、だから再確認したと言うべきか。

時折、淋しい様に錯覚する時があるけどそれはそういう気がするだけで、よくよく落ち着いて見たら自分はもう全然淋しくないのかもしれない。

自分は、もう書かなくても良いのかな、とふと思い、

同時に自分は自己治療の為に文章を書いてんだなぁとそれも改めて判った。

以前、ボツにした「つうしん。」用の原稿の中に

> 以前「このメールマガジンをやってて
> 何かあなたに特はあるのですか」とい
> うお便りを頂いた事があるのですが、
>
> その方は多分お金になるのかとかそう
> いう意味で訪ねられたと思うのですが、
> そういう意味では全く得という事は無
> いのですが、得も得で、自分だけが得
> をしていて、
>
> 読者の方はいわばワタシの自己愛につ
> きあわされている訳ですから、本当に
> すまない申し訳無いと思っています。

こんな事を書いた事があったけど、ほんとそうだ。みなさん、ほんとごめんなさいm(_ _)m。

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本を閉じて車に乗って近所の生協で買い物しながらさっき読んだ本のカケラカケラと自分の断面とをこすり合わせる様に「Fuckin' Blue Film」のことを考えた。いや、「Fuckin' Blue Film」を手がかりに自分のことをもぐもぐと考えた。

シュークリームとエクレアが特売で、シュークリームを買おうと思ったけど売り切れでエクレアを買った。

最近のワタシは甘味好きとして、そして大食いとして一部ではかなりの認知度を得ているが、実は一人の時ケーキを買ったりはしない。

気分を紛らわせたり気合いを入れたい時なんか、それと只単純に食べくなった時に、たまーにまんじゅうとかシュークリームとか買う時もあるけど、気分が高まるのは買うとこまでで、そういうのは決まってうまくなんかなくてなんか食べ物を食べてる様な気分にならない。

買い物を終えて駐車場でエクレアを開ける。

でも甘いのは判るがなんか粉っぽい紙、そう、まるで感熱紙を噛んでるみたい(感熱紙は口に入れたことないけど)で気分は一向に晴れなかった。

やっぱワタシにとって(まー多くの人はそうなんだろうけど)コミュニケーションの付随しない節食行為はどこまでイっても何食べても「食事」にはなんないんだなぁ、と再確認する。今日は再確認が多い。

だから誰かと食事すると美味しく沢山食べてしまうし(それを常に目撃される訳だから大食いが知れ渡ってしまう(^_^;))、

一人でいる時はいつもグレたものをもぐもぐやってちっとも食卓に着かない。食べるのを忘れてる時も多くてでもそうすると低血糖でファイル無くしたりして困るから努めて何か口に放り込む。勿論、味わってなんかいない。

孤食が肥満児をつくるという研究があったけど、やっぱそうなんだろう。

只甘くてどろどろがさがさしてるだけのシュークリームという名のナニカを嚥下させながらも、あんなに「淋しい」ってコトや心細いってコトをあからさまに書いちゃっていいのかなぁって思った。でもすぐ良いんだよなぁって思った。

なんか、自分が淋しいとか辛いとかって人に読ませるのは気がひけるから、

書くときはものすごくどうしようか悩むけど、考えてみたらそうやってどうしようか悩んで書いた文章は正直じゃないかもしれないよなぁ、こないだ、メルマガ(*2)にもっと正直になりたいって書いたばっかなのになぁって反省した。

でも書いたっていいんだよなぁ。読ませたって良いんだよなぁ。

身の上話や愚痴を人に読ませるに値する迄に洗練させる方法ってのは、とどのつまり正直に、ひたすら正直になるしかないんじゃないかなぁって又「正直」について思った。

そしてあからさまと正直は違うなぁと思った。

彼女の文章はあからさまじゃない、正直なんだなぁ、だから読んでて嫌じゃないんだろなぁ、

って、なんかそんなふーに思っても仕方ないんだけど、そうできる彼女をうらやましく思った。

あの本の帯には「醒めた人間観察が異彩を放つ」(*3)っても書いてあるけど、

あれは醒めてるんじゃない、チガウとワタシは思うなぁ。

スピード感があるから、そしてセンス良く、洗練されてて垢抜けてるからそれに惑わされてるだけで、

多分、彼女は大抵のことを「ああ、そうか」って只そのままに、飲み込めてるだけだと思うなぁ。

それに比べてほんとワタシはドロ臭いなぁって、比べようも無いし比べるのもおこがましいけど比べちゃってた。

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こないだ、ある人がこんな事を話していた。

「──という人の本なんか、目を背けたくなる様な自分の酷い経験を、ことこまかにつらつらと只書き連ねただけ、そんなのぁブンガクじゃあない。そんなもの読んでも胸が悪くなるだけだ。読みたかぁないよ。」

「でも本人がそれを売れる!って武器にして世に発表してそれが本になっちゃって(文学の)賞までもらっちゃう。書く方も本にする方も賞をやる方もそれはなんか感覚がズレちゃってるよ。オカしい。」

そして話題が少しそれた時、こんな事もおっしゃった。

「本、というのは情報開示じゃないんです。本にするからにはそれ(情報)に何か文化が伴わなければ」

なんか目からウロコ。

「Fuckin' Blue Film」はネットの世界を越えて活字になった。

「Fuckin' Blue Film」という一冊の本を読んで、このことの意味がよくわかった様な気がした。

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(*1)ワタシがこれまで出会った来た人達の中には、ビアンやバイ、ゲイ、S&M、dom&sub、TV、TS、スカトロマニア、ピアス愛好者・・・色んな人がいたしいる。

流石に現役の殺人鬼っていうのはまだ友達になった事はないけど恋人を殺して食べちゃった、超有名なあの人ともしばし文通をしてた事がある。

だから大抵の「変人」とか「変態」とか呼ばれる人と出会ったり、友達から俺は実はそうなんだと告白されてもさして驚かないし、そんなのが無い方がオカシイ事の様に思う。

誰だってみんなヘンなとこはあるものだ。アブノな趣味なんて、ボードや酒が好きってのと差して変わりは無い。

但、ツキアっていく内に「嗚呼、この人って・・・ほんっっと・・・だなぁ」って呆れちゃうというか、思い知っちゃう時はあるけどネ。その時は正直ちょっとビビったり引いちゃう事もあるけどさ(^_^;)。

ワタシは人間ってどんな酷い事もどんな薄情な事もどんな狂った事もするって事を多分、実感として知ってると思う。自分がして来た事、されて来た事、そして自分の腹ン中を思うと大抵の「信じられないこと」は、ああ、って納得出来てしまう。

一番不可解なのは、奇妙でむごい事件を揶揄するTVの人達みたく「どうしてこんな事をしたのか?!信じられない。」って自分の事を「全く罪の無い一般小市民」みたいなカオをしてる人達だ。

彼等には全く自覚が無いし実際罪も狂気もない。でもきっとそういった人達だって、環境と必然が揃えばどんなオカしい事だってやってのけるんだろうと思う。無自覚に、仕方が無いと言って。  (*1)にもどる。


(*2)『拝啓、漱石先生』を参照下さいm(_ _)m。  (*2)へもどる。


(*3)後から気付いたんだけど、帯の背表紙部分には、「ひどく醒めた視線で人間観察をしている。」の後に「依存もせず、突き放しもせず、ただあるがままに「藤森直子」として存在している」って書いてある。

ワタシにしてみたらこの二つの文は矛盾をはらんでいる。

著者は「あるがまま」に物事を受け止めている。だが決してそれは「醒めて」るって事とはチガウと思う。

そして著者が著者として常に揺るぎなく存在しているか否かということについては・・・残りの部分を全て読んでからワカった様になってみたいと思う。  (*3)へもどる。



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