*「風をあつめて。」は、猫ちはる。が日々書き溜めた、旅の文章やエッセイをメルマガで送りながらウェッブでも公開しているサイトです。
著作権は「猫ちはる。」にあります。全ての文章、イラスト、カット、写真などは全て無断転載禁止です。


トップページ > 文章 > 「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」


メルマガ登録

下のボックスにメールアドレスを入れて登録ボタンを押して下さい。
まぐまぐ・ID21973


ふぁいるでーた

「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」


通しNo .00058
〜なはなし
感想・思った事
〜のはなし
娯楽・芸術・メディア
せかい
〜のころ
すごく最近
とき 記載しない
メルマガ配送日
 2002/06/05号


「元始、女性は太陽であった 平塚らいてうの生涯」

ワタシの映画の感想文は、「で、結局良かったの?良くなかったの?」って所がどーもよくわかんないって言われてて、

実際『賛否両論「マグノリア」』なんかは非常に気に入ったんだけど、読んで頂いた方にはそうじゃ無い様に思われてたり、他の感想文も多かれ少なかれそういう風な事があって、

その原因はまぁワタシの乏しい表現力によるものなんだけど、それに拍車をかけているのが、ワタシが文中で「良かった」「悪かった」「面白かった」「つまんなかった」というハッキリしたことばを書かずに、

感じた事を感じたままに、ああだったこうだったこんな風にも感じたしあんな風にも感じたと書くからだろうと思う。

この様に、ワタシが観てきた作品を一言でジャッジしてしまう様なことばを避けて感想文を書く理由は、一つにはそんなことばじゃそのことばの持つ意味が伝わらないと思うからで、

もう一つは自分のそのひとことが、(その作品を)まだ観ぬ他人の気持ちに何か影響を与えるんじゃないかと思うと怖いからである。

しかし、今日ばかりは「すばらしかった」と書こう、只一言、「すばらしかった」とだけ、それだけで良い、と強く思った。そんな事は初めてだった(でも長くなっちゃったけど)。

今日は初めてばかりだった。

恐らく、記録映画を観て泣いてしまったのも初めてではないかと思うし、

なによりも、自分自身が「女で良かった」と初めて思えた日であった。

ちょっと長くて退屈してしまうかもしれないが、実際、涙でうるむワタシの両脇の男性陣は、交互に船を漕いでいたから相当テンポ悪い映画であるという事は否めないのだが、

だがしかし、この映画は頭からそうしたものと思い覚悟を決め、出来るだけ沢山の人に観て頂きたい、素晴らしい映画だった。

近代史の勉強でもしに行く気で臨めば、十二分に飽きさせない楽しい映画だし、何よりも有事立法やら憲法改悪やらの物騒な今だからこそ、本当に沢山の人に観に行って頂きたいと節に願って止まない。

--------
平塚らいてうは女性解放運動に身を投じた人として名高いが、実のトコロ、ワタシはこのウーマンリブとかフェミニズムとかてのがどうもピンと来ないというかどっちかっていうと苦手だった。

好んで女子大に入学しておいて、人によってはそんな事言うと意外に思われるかもしれないがそうだった。

ワタシは、典型的な家父長制、女、子どもは女中か奴隷と一緒、玉子と海苔は食べちゃあかんとか、炊きたてのご飯は男だけとか、そんな時代錯誤な家で育ったから多分「女のくせに」とか「女なんだから」と言われる事に人一倍カチンと来る人だと思う。

だがしかし、そういった家に育ち、金融機関に勤めた時“結婚と同時に退職します”という誓約書に嫌々三文判押しつけ働いて、ナースの資格を取ってからも安い賃金で仕事をし、長男長女で縁談破談も経験し、ついでに女子大時代には変質者につけ回され免許手帳保険証全てのIDを空き巣で二度も盗られ、

とまぁ、この現代に置いて尚、女性が「社会的弱者」であり差別の対象だという紛れもない事実を事実として知っているから、だからこそ、敢えて「女性である」という事を誇示する様なリブ&ふえみ活動のイメージは、ワタシにはかえって逆効果に見えたのだ。

もっと自然に、女、女とことさらに騒ぎ立てずにさりげなく、全く当たり前の顔をして生きる、そうした方が「女も人間だ」と解ってもらうには効果的だろうと思ってた。

ワタシが女子大に受かった時、色々な人が色々な事を言ったが、中でも「ちはる。ちゃん、リブとかさ、そーゆーのになっちゃうの?コワいなー、もう声かけられなくなっちゃったりして」と言うような事を言った男性が居たが、

多分、その彼が抱く「リブ」のイメージと、ワタシが抱いていた「リブ」のイメージはかなり近かったんじゃないかと思う。

その時ワタシは笑って「あー・・・、はははは、なんないなんない(^_^;)」と苦笑いしたが、今回この映画を観て、ワタシは女性解放運動の原点、理念、可能性、その他全てのなんたるかを全く誤解していたと知った。

真の女性解放運動は、髪を短く切った男勝りのオバハンが口で男をやり込める、そんなものじゃあなかったのだ。

--------
ワタシの抱く平塚らいてうのイメージも又、かなり誤っていた事をこの映画で知った、というかそもそも彼女のことをワタシは良く知らなかった。

女子大時代の武勇伝(?)も、その後の女性解放運動も、その時代だったからこそ目立ってしまっただけだろうとワタシ的にはそれ程たいした想いも抱いていなかった。

どうしたってそこに通うのには不釣り合いなワタシが、しかも26のリカレントで女子大に合格した時、その後の在籍中、学部卒業の時、そして現在に至るまで、

「あの平塚らうてうのでた学校なのだから、まぁたまにこういうの(ワタシ)もとるんだろう。」

「女子大史上、平塚らいてう以来の破天荒な生徒」

「平塚らいてうか猫ちはる。かと言った感じ」

などなどと、周囲の、ワタシに対する感想の引き合いに彼女がしばしば登場するのだが、

それは跳ねっ返りだとか変わってるだとか、まぁそういう事をワタシに言いたくて、それが人によって皮肉だったりお世辞だったりする時に彼女の名前が出て来んだろうと思っていた。

ワタシをよく知る恩師(*)が、彼は論文の先生だが詩人でコピーライターでもあって、時々ワタシのキャッチフレーズを口にするのだがその時は大抵らいてうがらみで、

偉大な彼女とワタシとを比較するのは彼女に大変申し訳ないが、この映画を観ながらなる程、彼女とワタシは似ているな、と思ったし、人がワタシとらいてうが似ている、と言うこともなんとなくわかる気がした。

それは女子大からはみ出て目立って特異で破天荒な生徒、というメージを持つところかもしれないし、

馬力があって行動力の塊みたいな感じを与えるところかもしれないし、

糞真面目で時に冗談も通じないところかもしれないし、

仏教思想に深く傾倒し内なる声に耳を澄ませようとするところかもしれないし、

授業をボイコットして自分の好きな勉強ばかりしているところかもしれないし、

"若い燕"が絵の好きなところかもしれないし、

取り憑かれたように寝食を忘れて何かに没頭するくせ身体を壊して養生しなければならない様なところかもしれないし、

いつも素のところかもしれないし、

一体、他人(ひと)がどんなレベルで「似ている」と言うのかはともかく、大変おこがましくて恐縮なんだけれど正直に言うと、この映画を観ながらワタシは素直に「ああ、ワタシは彼女に似ているな」と思った。

似ているだけじゃなく不思議な"ご縁"の様なものも感じて嬉しく思った。

同じ学舎に学んだというだけでなく、かつて彼女が奥村をつれて訪れた、そして映画全般を通じて映し出される水面(沼の映像)は、

ワタシが毎日裾野を見て育った赤城山である。

--------
最後に、ワタシは平塚らいてうの事を「女性解放運動に身を投じた人として名高い」と書いたが、「女性解放運動家」とは書いていない。

らいてうの生き方──様々な運動は全てらいてうが生きる上での必然によるものだから、らいてうはらいてうとして生きようとして、その歩いたところが道になっただけだと思うから、

そのそのお水が流れる様に自然な行動に対して、時としてまるでそれになるために、それを目指してなった様なイメージを与えてしまう「○○家」などと言う言い方は全く似つかわしくないと思うが、それでも敢えて彼女に何らかの肩書きをつけるとしたら、
「平和運動家」と敬意を込めて呼ばせて頂きたい。

パンフレットの3ページ、瀬戸内寂聴さんが完結にまとめておられるので引用させて頂く。

「(略)若い燕の語源となった年下の奥村博史と結婚以降は,本来のオーラがなくなったと思い,(略)わが国ウーマンリブの元祖としてのらいてうこそが,歴史的にもすばらしいと思いこんでいた.

 けども羽田(監督)さんの,何のてらいもない,あるがままのらいてうのドキュメント映画を見せてもらい,後半生に至って涙がこみあげてきたのだった.

らいてうの平和運動に至るまでの,長い人生の正直一途,純真無垢な生き方こそ,ウーマンリブの元祖となるべきエネルギーの根源であり,そのパワーが結実した成果としての必然的な平和運動なのだと,肝に銘じてはじめて納得した.(略)」

この、「必然的な平和運動」を是非映画をご覧になって実感して頂きたい。全ての人に。今という時代に。

ワタシはこの映画を観て、こんな言い方しごく安っぽくて嫌なんだけれど、勇気をもらった。

最初にも書いたが、今日まで、自分が女で良かったなんて思った事は一度もない。

ここ最近、やっとこさっとこ「まぁ、しゃあないか」と思えて来た様な気がしてたところだが、自分はずっと自分の女性性を否定して来たと思う。

しかし、らいてうに、いや、らいてうとこの映画の監督(演出)をされた羽田澄子さんに、女性であるという特権、

女性だからこそ、深く実感を伴って恒久の平和を願い、断固としてそれを貫いてゆける可能性を秘めているのだ、ということを教えて頂いた気がする。

ウーマンリブは勿論、ヒステリックに髪振り乱して男と同じ仕事をさせろと訴える運動ではない。(勿論、不当なキャリアブロックを打破する運動も大切だが)

いのちを生み出す可能性のある人間として、いのちを断絶する戦争というものに、自覚と実感をもって断固として反対し、真に平和を願ってその実現の為に運動するものだとこの映画は言っている。

そして、最後に出てくるらいてうの「私は永久に失望しないでしょう」ということばが、観た者全てに、貴女にはその力があると励まし、胸に迫ってくる。

--------
こんど、平塚らいてうに似ていると言われたら、それが例えおこがましいと思ってもワタシは胸を張ろう。

それが例え皮肉でもお世辞でも微笑み栄誉と受け取ろう。

そして、彼女の名に恥じぬ様、生きようと、努力しようという事を思い出そう。

P.S.平塚らいてうは女子大の同窓会である桜楓会(現社団法人 日本女子大学教育文化振興桜楓会)を心中未遂事件をきっかけに除名された。(その後84年ぶりに復権)

この桜楓会、ワタシも学部卒業時に入会を強要されたがお金を払わなければならなかったので手続きしなかった様な覚えがある。

その後、寄付やら会費やらとたまに請求が来るが一度も払った覚えが無い。ははは。そんなワタシの桜楓会での処理はどうなっているのやら。
2002/ 6/4 4:11  

-------  -------  -------
(*)恩師
が本を出してます。宜しければ。
岩波ジュニア新書「ことばあそび同音漢字問題集

HP「ことばのまど―ヒマジンガー日本語研究所」  (*)へもどる


このお話しをおススメしてね!→




 おススメ!へ  一覧へもどる


*バックナンバーについてはデータがたまる迄は旧旧サイト旧旧サイトのミラーをご活用下さい。


このページ内の全ての画像、文章、コンテンツなどは無断使用しないで下さい。
使用する場合は、管理者に必ず事前にメールで是非を聞いて下さい。