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ふぁいるでーた

桜風(サクラ)と幼子と作文と。


通しNo .00061
〜なはなし
思ひ出・のすたるじあ
〜のはなし
家族・ひと
せかい
生家・故郷じぶん世界
〜のころ
入学前
すごく最近
とき 記載しない
メルマガ配送日
 2002/06/12号


桜風(サクラ)と幼子と作文と。

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*今回はいつにもましてどうでも良いことを書いています。

自分のことばっか書いてあってお読みになられてもツマンナイと思われます。

最初はボツにしたものなんですが、なんとなく配送しました。

自分のメルマガやサイトをお読みになって下さっているウチ、

「この人は、何故カネにも得にもならないのにこうも大量に文章を書くのだろう」

とか

「一体いつから文章を書いてるのだろう」とか

ギモンをお持ちの方にお読みになって頂ければ幸いです。

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メルマガ遅れてしまってごめんなさい。

日記には配送予定の月曜日に「なんか文章書く気になれません。メルマガ配送できません。ごめんなさいm(_ _)m。」というお詫び文を書いたのですが、

書きながら(文章書けないって・・・じゃあここに書いてるのは文章じゃないのかなぁ)と思いました。その日は書けないと書きつつ実家の庭の仔猫のハナシを書いてます。

でもメルマガの文章と日記に書いてるのとは全く違うんです。それは多分自分だけが違うと思ってて、自分以外の人にはいっしょくたなんだろうとは思うんですけど、自分としては全然違うんです。

日記に書いてる文章は、メルマガの文章と比べてほぼ同等、どころか時には三倍も四倍も時間かけて考えて書く事もあるんですが違うんです。何度も書き直すし吟味するしボツも同じ位あって手も抜いてないんす。でも違うんです。日記へ書いてるのは文章じゃあないんです。うまく言えないけど。

じゃあ何かと問われたらやっぱ文章だと答える以外ないんですけど。

メルマガを配送しない自分はなんだかがらんどうになります。シドニー五輪の時手に入れたTVを無意味に付けたりして、そのTVで今日(2002.06.12)は人と関わると縁起が良いとか言われてご近所の人から頼まれてることをやりました。

ついでにその方に誘われて卓球に行きました。

そして市内の体育館で卓球やって卓球ってワタシの内(なか)では陶芸と同じだということに気付きました。集中出来るっていうか。

卓球は競技として以前かなりやりましたが陶芸は生まれてこのかた何回かしかやったことがないのに不思議です。全く同じ感じがするんです。白くなる。

何年か前長瀞の陶芸の先生に「(今日は)楽しかったですか」と訊かれて「楽しかったというか・・・」「気持ち良かったです。」とと答えて、
先生の方がそれに対して「集中して?」という様に言った様な気もするし、自分が「久しぶりに集中出来て気持ちよかったです」と言った様な気もしますが、兎も角、そんな感じでした。今日の卓球は。

そして今日、自分はこの集中に飢えていたんだということに気付きました。

集中に飢えている理由はとても簡単。メルマガ配送してないから。

ワタシはメルマガの文章を書かないとどうも集中が途切れるというコトが判明しました。

ワタシのごく身近な人にこんな事言ったら多分「何を今更」って言われると思うんですが、自分は集中できないと書けないくせに、書かないと集中出来ないという変な体質であるというコトも遅ればせながら今頃発見しました。

そのある一定の集中の持続の経験がキれるとそこはかとなく不健康になって来る様なのでこりゃいかんと思って素直に友人の提案に従って今日は身体を動かしに行きました。そこでメルマガの文章書いてる時と同じ集中を得ました。

鬱病には運動が良いってこの事なのかなぁと妙に納得しました。

集中と言えば、もう一つ、同じ様な集中の経験を思い出しました。それは書道です。

ワタシは小学校上がる前は数もろくろく数えられず時計も読めずだったのでおおよそ誰かに勉強を教わったという覚えが無かったのですが、何故か小学校前から作文を書いていて、

なんで学校前で字が書けたのかなぁと不思議だったのですが確か幼稚園に上がるのと同時にお習字に行ったから、どうやらそれで字を覚えたみたいです。

初めて書いた作文らしい作文は母が広告紙の裏かそれに穴を開けてリボンで輪綴じにしたものに鉛筆で水源地の桜(*1)を祖母と見に行った時のことです。

一旦書き終わってから大人ぶってわざと沢山出てくる「いきました」を「ゆきました」に全部消しゴムで消して書き直したのに、それを見せた祖母には「いきました」って書くんだよ、と注意されたのを覚えています。

最近のワタシがたまに「ゆきました」とか「ゆく」とか書きたくなるのは、この時認められなかった「ゆきました」の気が済んでないからなのかもしれませんし、その時モーレツに惹かれた「ゆく」という音の響きに未だに恋してるからかもしれません。なんとも燃費が良いというか粘着質というか。

その時書いた文章の字面は忘れてしまいましたが、その時の文章を書いた時の身体の感じは未だにハッキリと覚えています。特にしめくくりのシーン。

風にかきまぜられる様にゆさぶられる桜と、その空恐ろしい様な風と香りとピンクと梅干し色と花びらとを背にした時のあの感触。

あの感触にとらわれながらその感覚を書いたしめくくり。

自信を持って、でも何か書き足りて無い様な気もしつつ書いたあのしめくくり。

「ゆきました」なんてどうでもよかったのに、祖母に肝心な所を気付いてもらえず自分だけで自分の文章と、背中の感触とを重ねて反芻して何故か悦に入ってたあのしめくくり。

今でもあの桜と、その桜を背に帰った時の事を思い出すと胸がぐっと苦しく鼓動は高鳴り、右肩の下の方の背中かむずむずします。

うす紅色のフェーン現象の風が追いかけてきて、髪と耳の間に沢山巻き込んで頭の皮がしびれます。

こうなるともう自分は書くしかないのです。書いて忘れるしか無いのです。きれいに書いてしまえば、書き切ってしまえれば、忘れられるのです。

それ以外にないのです。でも書き切って忘れられる事はごくごく限られているチャンスで、大抵はそれで忘れられるとか、何かが解決するかというとそうでもなく、

風邪の時しかたなくルル(*2)を飲むのとおなしで大してよくもならないのに只こうするしかなくこうする以外ないのだと最近になって思い知ったというか諦めました。

お習字は中学卒業を機によしましたが文章を書くことは未だに続いています。

今日は今からあの時の桜についてカネにもメルマガにもならない文章を書くことになりそうです。

でもその時の具体的な記憶が薄れてしまったので、このことについては書いても書いても、きっと一生書いてもこの右肩下の「感覚」がとれる事は無いのだろうと思います。

それでも何かが晴れる様な気がしてしまって、ワタシは今日も書いてしまうんです。(*3)

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(*1)水源地の桜
子どもの頃、近所の水源地の桜が見事でよくお花見に行きました。この時の事ではないけれど、『粋な?花見。』に祖母と花見(?)に行った時の事が書いてあります。  (*1)にもどる


(*2)ルル
市販薬(三共)の風邪薬のことです。
実は普通の人には解りにくいのですが、この市販薬、お医者でも出していて、ワタシは喘息なので医者がコワがって「かつて飲んだことのある薬」という事でよくこれを処方されたりしました。

ルルなら家にあるのにわざわざ医者に行ってしんどい思いしてルルもらって来るし(^_^;)  (*2)にもどる

(*3)実は、この文章を初めて書いた時、何か注釈があった様なんですが、色々あって何を書こうとしたんだか忘れてしまいました。

多分、例えば『拝啓、漱石先生』にも書いた通り、「自分が書く必然」はまだ他にもあるのだ、という様な事が言いたかったんだと思います。  (*3)にもどる


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