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まぐまぐ・ID21973


ふぁいるでーた

地球最後の日の前日


通しNo .00082
〜なはなし
ひび・よしなし事
思ひ出・のすたるじあ
〜のはなし
家族・ひと
せかい
生家・故郷じぶん世界
〜のころ
入学前
小学生1
小学生2
中学生
女子高生
信組職員1
ナース卵
女子大生
すごく最近
とき 記載しない
メルマガ配送日
 2002/11/20号


地球最後の日の前日

先日、彫師の友人に会った。

彼女は美術の専門学校を卒た後、ドラクエのドット絵を描いててその後結構どうしょうもなく過ごしていたのをある人に拾われて壁画家になった。

そして壁画の世界では結構有名なヒトになって、彼女の描くミケランジェロは結構な評判を呼んでいたのだがそんなある日、システィーナ礼拝堂のモノホンのミケランジェロを見てスッパリ壁画をやめてしまう。

その後、前々からの趣味が高じて彫師になったがそのことは親にはずっと言えなくてずっと壁画家で通していて、「壁画家の娘」はご両親にとっても随分と自慢だったのだそうだ。

彼女は高校の卒業式の日に家出して、以来自分では親とも里とも縁を切ったつもりでいたが、お母さんが癌に冒されてその時は流石にいたたまれなくなって十年ぶりだか七年ぶりだか十年以上だったか、ともかく久々実家に帰り、

それでどういういきさつだかは忘れてしまったが、ともかく彫師だという事を隠す為の嘘も限界に来てて、それでお父さんに実は自分は彫師なのだと「カミングアウト」したらしい。その際、自分の身体に入った墨を見せたらお父さんが、

「かわいそうに・・・痛かっただろう?」

と言って、それで彼女は涙が止まらなかったと言っていた。

彼女曰く、「彫師に「痛かっただろう?」なんて言う人は絶対に居ない、親だから、親だけだよな、そんなこと言ってくれるのは」、と言うことだったが、実はワタシにはこういうのがいまひとつピンと来ない。

もちろん、もらい泣きする程良い話しだけれど、ワタシにはこの「父親が」というところに実感が持てないのだ。

ワタシが二十歳くらいの時(にも)、車に撥ねられて一ヶ月ほど寝たきり生活してたこと(のことは『恐るべし・・・』に)があったが、その時父が言ったことばは、

「お前なんか轢いちゃって相手の男が可愛そうだ」

だった。

もちろん、保険屋との交渉なんて誰もしてくれなかった。母に頼んでも父に頼んでも結局タライ廻しでワタシの所へ保険屋は戻って来てしまう。

で、結局保険屋とのやりとりも警察の事情聴取も全部ベッドの上で自分一人でやった。結果、女の子だし寝たきりだしてなんだか良い様にまるめこまれちゃってろくろくおカネももらえなかったっけ。

それから何年かして口が開かなくなって、顎の手術をする時も似たか寄ったかで、ワタシは喘息とかで結構ちょいちょいと入院してるんだけど親とかにはあんまそういうのっていちいち知らせない方で、ってかどっちかっていうといつも隠してるんだけど、

でも今回は全身麻酔での手術だから喘息持ちの場合はひょっとすると麻酔のカンケイで命の危険もある訳なので一応知らせた方が良いってコトで通達したのだがウチのモノは誰もが無関心、というか面倒がって、

とうとう当時つきあっていた彼があきれ果ててワタシの家族に病院に来る様説得、しかしこれが又厄介なことになってしまって、母は病室のワタシに電話をかけてきて、

「ちゃあちゃん、手術の日、みんなで行ってやるからさぁ、ホテル、予約しといて」

そう言われてもワタシもこの辺の事情は良く知らない。当時としては珍しい手術だったのでその方面に明るいドクターを頼り、故郷でも下宿先でもなんでも無い、縁もゆかりも無い土地に入院していたからだ。

ワタシは消灯時間前の蛍光灯くすぶるくすんだ廊下で、方々へ電話をかけて宿屋の手配をしたものだ。(結局そのこともワタシの彼がおせっかいしてくれて実家の者が自分たちでなんとかする事にしてくれたのだが。でもこの手術の日は面白かったヨ(^-^)その時のことは『手術前、三十分。その時一家は・・・』に)

ウチの者達は良く言えば個人主義、悪く(なのかな?)言えば「人は人」、あからさまに言えば「いつも自分の事で手一杯で他人(ひと)の事まで手が廻らない、つまり(自分以外のことは)どうでも良い」のだ。

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親のあふれる程の愛が重苦しくて彫師の彼女は家出した。

親の愛が欲しくて家にぶら下がるもいつも片思いでうまく行かなくて家にいたいのにそれが許されないワタシ。

ままならないもんだ。

彼女とワタシは同じパンク世代。彼女と遊んだ次の日(2002.11.14)、久々に「SEX PISTOLS」、「suede」「Aimee Mann」と聞く。

聞きながらなんだか涙が出る。

なんか、ワタシ、昔は随分投げやりだったよなぁ。

以前、TV(Trans Vestite・女装者)の友達(のことは『女装者の悲しみ─姫(ひぃ)ちゃん─』に)が「ちゃあちゃんって結構(生き方)投げやりだよねー」と言っていたが全くその通りだと思う。

ワタシは友人から「ダンナがパクられちゃって子どものミルク代もない」と言う電話を受ければ有り金(はした金だけど)を全部送金してしまうし、

「今手首を切った」という声を電話で聞けば17号をアベ120でぶっぱなしてしまう(このことは『トラスを渡る女達(かぜ)』に)し、

面倒見が良くて嫌とは言えないタチで家族のことでも他人のことでも全く迷惑とは感じず、多分、命を張って問題に対処するのもぜんぜん平気だった。

そんなワタシを見て妹は「ちゃあちゃんの様にだけはなりたくない、いつも自分を犠牲にして、そんな風には生きたくない」とよく言っていたものだが自分にはそんな風に言われること自体あんまピンと来て無くて、

只、そういうことをするのは自分が優しいからじゃない、という実感だけが妙にあった。

今思うと、只、どうでも良かったのだろう、多分。

ワタシにはピストルズの方々の様に「NO FUTURE!」と叫び出す様な実感は全くなかったが、多分、当時ワタシは毎日が「地球最後の日の前日」だった。

明日(あす)、というものが理解出来なかった。今日と明日(あした)が繋がっているなんて見当もつかなかった。

だから寝るのが怖かった。父親が一時期ワタシの寝込みを竹の棒で殴りに来たりしててそれで随分寝られない日が続いたが、多分、それ以前もその前もワタシはあんまり寝て無くて、寝るのが怖かった。

子どもの頃は蒲団に入るのすら恐ろしくて蒲団の中で恐怖に耐えながら時間を潰す遊びを沢山考えた。

寝たらおしまいだと思った。今日が終わったらもうオシマイ。

ずっと不眠症だった。これ日々毎日が「地球最後の日の前日」なワケだからいつもなんでも今日中になんとかしなくちゃと思っていた。例えば、誰かと喧嘩したらそれが解決するまで相手を拘束したりした。随分、迷惑なハナシだ。

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今年の八月に、事故(別件)の怪我がぶり返してしばらくおとなしくしてなくてはならなくなった。

仕事も、家事も、メルマガも発行しない日がつづく。

もちろん、今までだって仕事も家事も真面目にやってた訳ではないけれど、無為にすごすというか、なんとなく、「只飯喰ってる穀潰し」な感じ。

子どもの頃、祖母は父を愛するあまり妙な妄想を抱いていて、ワタシや母を家族と認めていないどころか「縁もゆかりもない母子を置いてやってる」と思っていたみたい。

母が再婚するまで(ワタシの両親は一度離婚したが十年後再婚した。詳しくは『トラスを渡る女達(かぜ)』をご覧下さい)ワタシ等母子は玄関というものを使った事が無かった。仕事場と呼ばれる部屋からの出入りを義務づけられていた。

三歳の頃から一家七人の洗濯を井戸でさせられてて(洗濯機は祖母に禁止されていた)庭掃きにお使い子守にお炊事と、まぁこの位は「おしん(*1)を視て頂ければ判る通り「昔の子」なら当たり前だろうけれど、

お米は男が食べる以外は炊かなかったしいつもうどんや冷や飯だったし玉子と海苔は贅沢品だから「女子どもにゃぁ喰わせられない」ってことで御法度だったし、でもまぁその辺も家父長制の残る家はそうだったろうけど、

でもうかうかすると(うっかりすると)ワタシの食器がよく外の下駄箱の上とかに出されていてつまりは「喰うな」のサイン、祖母にひどく意地悪され、父には毎日毎日「喰わしてやってる」「喰わしてやってる」と恩に着せられ、それから殆ど毎日「出ていけ」と言われて続けて冗談じゃなく毎日荷造りして育った。

と、別にあの頃の恨み辛みを言いたいってワケじゃない。何が言いたいかというと、つまり子どもの頃のワタシは(時代錯誤に)沢山働いていたけれど「穀潰しの只飯喰い」だったのだ。

ところが今年(2002年)の夏〜秋、ワタシは只寝ているだけだった。けどワタシの彼は「出て行け」とも「喰わしてやってる」とも一度も言わなかった。

洗濯してなくてもご飯つくらなくても、家が散らかってると流石に怒ったけど、でも一度も働け、とも穀潰し、とも言わなかった。

ワタシは寝ていて良かった。喰べていて良かった。ごろごろしてて良くてマンガ読んでても良くて勉強してても良くて文章書いてても良くてメルマガ発行してても良くて、

でも、何にもしなかった。

最初は只単に身体がしんどかったんだけど、多分、最後の一ヶ月位は「何にもしなかった」のだ。

そうしたら昨日と今日と明日が繋がっているんだということがなんとなく実感を伴って来た。何故だかは判らない。

「明日やればいいがね」という感覚が初めて芽生えた。「はぁ、明日にしなよぅ」という人の言っていることが判って来た。なる程、確かに、明日、やればいいのだ。

そうしたら今度は何も出来なくなった。

友人(と言ったらおこがましいかなぁ)に元岩波で校正の仕事をやってて今は訳あってフリーで校正の仕事をしつつ小さな編集室を構えてあんま金にならないけど優れた本を出すことに尽くしていらっしゃる方がいるんだけど、

彼と出会った時、彼がワタシにこう言った。

「文章を書く人、っていうのには二種類居てね、ひとつは「書く為に生きる人」。で、もう一つは「生きる為に書く人」。君は間違いなく後者だから、早く書かないでもいられる様になるといいね。」

その時、ワタシは初めて誰かに何かを解ってもらえた様な気がした。

人はワタシが誰に見せるでも無い文章や、金になるでも無い文章を、作家になる意思も何も無く、只、がりがりがりがり寝食を忘れて書いているのを不思議に思うし、

大抵は「好きだから」とか「文章が上手いから」とか言う所にその原因(彼等にしてみると「理由」)を求める様なのだけれども、ワタシはそうとは思っていなかった。只、苦しいから、書かないと苦しいから、書くだけだった。(実は書いてる時も書いた後も結構苦しいんだけどさ。)

「入れ墨が痛かったろうと親父に言われて涙が出た」と聞いた時、ワタシの書いたものを赤鉛筆走らせ心から評価しつつも、「書かないでも生きて行ける様になると良いね」と彼が微笑んでくれた、その時のことを思い出した。

ワタシはもう、本当に書かないでも良いのかもしれない。
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(*1)おしん
ちなみに東南アジアでは大ヒット!→『アジアで見かけたニッポン。』をご覧下さい。  (*1)にもどる

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