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まぐまぐ・ID21973


ふぁいるでーた

すとれんじわーるど。


通しNo .00088
〜なはなし
思ひ出・のすたるじあ
〜のはなし
旅・せかい
せかい
タイ王国
生家・故郷じぶん世界
〜のころ
小学生2
すなふきん(前半)
とき '92 7月-'92 10月
メルマガ配送日
 2003/05/23号


すとれんじわーるど。

子どもの頃、不思議な所へ迷い込んでしまったことは無いでしょうか。ワタシは小学生の時、妹と一緒に不思議の世界に入り込んでしまったことがあります。

ウチのすぐ近所の筈なのに見たこともない通り。とても高い白い塀がぐるぐると螺旋状に連なっていて、どんどん登ったり下ったりしてしまう。

何度も通った道なのに、いつも知った道だったのに、家のすぐ側のワケなんにと焦っても帰れない。どうやって抜け出したのかもわからない。

その壁の染みですら、ちゃんと思い出せるのに、後で妹と探しに行ってもそこへは二度と行けなかった。

タイのペップリ(本当はタイの発音では「ぺ(チャ)プリ」と「ペ」と「プ」の間に口の中だけで小さく「チャ」と言っているのだけれど、ワタシ達には「ペップリ」とか「ペッブリ」とか言う風にしか聞こえない)という所にいた時、

近所の坂を下りた所にお寺さんがあって、そこへは毎朝ご近所の美女(ということにしておこう。その方が面白いから。

実を言うともぉ記憶がおぼろでおばちゃんが主だった様な気もするし若い女性だった様な気もするし。でもハッキリしているのは五、六人の内一人だけオカマちゃんが混じってたということだけは確か)

がきちんと正装してそのちぃちゃなすすけたムラの鎮守みたいなお寺さんの為だけに一日も欠かさずすり足の舞いを捧げてた。

そこでは「ぷーとんふぁー」(普通話:中国語、北京語のこと)が頭のだいぶ下か後ろの方へ行っちゃってる二代目華僑のおばちゃんのとこに厄介になっていて、地域の学校に遊びに行ったり市場を覗いたり生菓子を喰ったりしてのんびりしてたと思う。

昼はカンナで削った氷にオレンジ色した練乳入りのお茶、夜は「ソムタム」に「カオパーッ(ト)」、ちょこんと座ってる昼の屋台、ずらっと連なってる夜の屋台、甘辛酸っぱしょっぱ甘な揚げ物、ムエタイにコーフンするおやっさん達・・・

いの一番に「マイペーッ(ト)」(辛くしないでー)を「トイレどこー?」より先に覚えて何にでも使ってた。

「おばちゃーん、焼き飯(「カオパーッ(ト)」)辛くしないでー(「マイペーッ(ト)」)」

「ははは、カオパーッ(ト)は辛くないよー」

「えっ?!ほんとー」

「ほんとほんと、カオパーッ(ト)は辛くないもんなんだよー」

おおよそ辛くないもんと言ったら後は牡蠣入りの「じりやき」(お好み焼きの薄いのらしい。具は入って無いっぽい。ワタシは見たことないけど父や祖母が良く言う。彼等はワタシがお好み焼きを食べてるのを見てもホットケーキを食べてるのを見ても「なんだい、じり焼きかい?」と言う。)位か。

後はみんな甘辛酸っぱしょっぱ甘酸っぱ・・・なんでそうなるの?の不思議な感覚。

夕暮れ時に散歩から帰ってくると庭先で宿屋の娘さんが大きなナタでまだ熟してない固く青いパパイヤを叩いてる。これが「ソムタム」のモト。それは丁度お夕飯時にお母さんに言いつけられて「胡麻よごし」(胡麻和え)の胡麻擦ってる様な感じ。

子どもがお手伝いすると散らかすからってワタシもよく外や縁側で色々やらされたっけ。

大きなパパイヤをナタで叩くと丁度千切りしたみたくなる。それに後は香辛料や沢ガニ、トマトなんかを入れてそれこそすり鉢みたいので和える、日本では近頃毎日食べなくなったけどまぁ例えて言うなら毎食のお供の漬け物お新香、韓国で言ったらキムチーの類。

そんなペップリでの毎日を送っていたある日、どういう加減でそうなったのか、幾人かの子どもらに連れられて、いや、連れられてというか誘われてというか、

まるで子ども達がつむじ風の様にくるくるとワタシにまとわりついていつの間にか飛んでいってしまった様な。

あれは何だったんだろう、何処だったんだろう。

迷路の様な明るい洞窟の様な通路をくるくるジグザグと抜けるとぽっかりと空間があって、そこは小学校の時体育館代わりにしてた講堂、お化けが出るとか昔野戦病院だったから騒いだらいけないとか床の抜けた節に指を差し込んだら冷たい風が触って抜けなくなったとか言われてた古い木造の、

取り壊す時には天井裏から大きな大きな大戦当時の飛行機のプロペラが出てきて誰もが一様にハッキリ口には出さなかったけれども何故か「やっぱり」と大人も子どもも何かを納得した、あの独特の空気を持ってた小学校の講堂の、隅っこの方にあった埃っぽい体育用具入れの様な、

ここも学校の一部なのだろうか、今子ども達がぶらんぶらんとしならせておもちゃにしてるのは運動会で使ったもの?それともムラのお祭りで・・・?あれは見たことがある、納涼祭やら何やらの時飾られてた、竹を裂いたのにお花紙でつくった花飾りをつけたやつ。

いや、やっぱりあれはお寺さんだったのだろうか、顔に白い痕のある明るい赤土色の仏像の顔を覚えてる、同じ土色の壁土色の光土色の子ども達・・・

室内の様な防空壕の中の様な中東にありそうな洞窟の様な不思議な空間。笑い続ける子どもたちの顔、手、シャツ・・・

思い出というのは往々にしておぼろ、まるで夢見るごとくだけれども、あればっかりは「その時」からどこに彷徨い込んでしまったのか判らない。

タイなのか故郷なのか、今なのか昔なのか、この世なのかあの世なのか、ふわふわと現実感の無い、出口も入口もあやふやな閉じた空間、ざ・すとれんじわーるど。


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