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まぐまぐ・ID21973


ふぁいるでーた

まず目で、そして手で喰べる。


通しNo .00009
〜なはなし
考えた事・熱く主張
〜のはなし
旅・せかい
喰いもの・せいかつ
せかい
タイ王国
印度
スリランカ
〜のころ
ナース卵
とき '91 3月-4月
メルマガ配送日
 2002/02/25号


まず目で、そして手で喰べる。

例の怒濤の印度半周を終えたワタシ達姉妹は、スリランカに渡った。

通常、印度の疲れはネパールで癒すのが一般的らしい。

カトマンドゥかポカラ当たりでチョモランマを眺めつつガンヂャをふかしていると、いつの間にやら1ヶ月や2ヶ月平気で経ってしまうのだそうだ。

ワタシ達は、印度を北から入って(定石とは逆に)ネパールへは背を向けるかっこでとにかく南下していたし、

又印度最南端の空港、トリヴァンドラムからはタイ行きの便が無かった事もあって、すぐ南のスリランカへ渡るルートを取った。

ワタシ達が印度亜大陸を死ぬ思いで南下(バックナンバー『黄泉を走る列車』参照)した理由は、印度最南端の「コモリン岬」に立って見たかったからだ。

世界地図を広げて印度を見てみると、印度という国は南に向かって逆算角形にとがっている。その逆三角形の頂点の岬が「コモリン岬」だ。

聞くハナシによるとその岬に立ったなら、目の前でベンガル湾、インド洋、アラビア海のみっつの海がぶつかり、まぁるい水平線が自分の耳の後ろの方まで見えると言う。

ワタシ達は、その「まぁるい水平線が見てみたい!」という、只、それだけの為に列車を何十時間も乗り継いでこの地を目指して来たのだ。バカといえばバカである。

はたして姉妹がこれが地図の最南端だとおぼしき岬に立ってみると、その光景はワタシ達の期待を全く裏切ることなく頭の周り中に広がっており、

天然のサラウンドとハエの目が欲しくなる様なしぶきから吹き下ろして来る湿気った突風は、姉妹の旅の疲れをホンの少し癒した。

これまでの、約1ヶ月の旅で、ワタシ達は肌も服も焼け、埃だらけでほとんど印度の土と同じ様な色合いになっていた。

妹は酷い下痢がつづき、ワタシは高熱を出しながら、寝台も取れないままにコーチを追い出され、行く場も無く夜行列車のトイレの前でゴキブリと一緒にうずくまっていた。

そんな印度の旅を終え、又ワタシ達の旅そのものも終わりに近づいていた事もあって、向かうスリランカでは少々お金も使ってゆっくりしよう、と二人めずらしく意見が一致した。

なにしろ、成田→タイ→印度→スリランカ→タイ(トランジット)→成田の約1ヶ月間の旅でワタシが使ったお金と言えば、上記した主なエアラインを除いて、

もちろん、バンクコク、印度半周、スリランカでの全ての交通費、食費、宿賃、観光費用お土産代・・・その他モロモロぜーんぶひっくるめてなんと1万2千円しか使わなかったのだから、

如何に物価の安いこの3国とはいえ、全くフリーで行く、始めての海外旅行としては結構ハードな旅だった様に思う。しかも一応うら若き乙女二人だし。

コモリン岬のあるカンニャークマリという所に一泊してその光景を満喫すると、ワタシ達はカンニャークマリから空港のあるトリヴァンドラムという所までもどり、そこからスリランカのコロンボへ飛んだ。(スリランカ→コロンボのくだりはバックナンバー『りこんふぁ〜む』をご覧下さい。)

コロンボに着くと空港か観光局か、はたまた通りすがりの人か忘れてしまったが、ともかく誰かに「コロンボからそれ程離れていなくて、2、3日ゆっくり過ごせるところはないか」と訊ね、ある村を教えてもらった。

その村までは列車に乗って行った。

ついた所は小さな漁村だった。

宿はそれまでほとんど野宿同然の木賃宿に泊まっていたのだが、その時だけは、海にほど近い、古いがこざっぱりとしている瀟洒なホテルを訪ねた。

ホテルは建物も人もとても良く、部屋には天蓋付きのベッドが、バスルームには便器の他に古めかしいビデまでついており、ワタシ達は久しぶりにとてもゆっくりとした気分になれた。

折角だから海辺を散歩しようと部屋を出ると、ホテルの人に今日の食事はどうするかと訊かれた。

「何か適当な、その日捕れた魚でいいだろうか」

というような事を訪ねられた様に思う。ワタシ達はそれでいいので、おまかせしますと言って、外出した。

夕暮れ近い海辺に出ると、頭をみんなパンダのお耳みたく2つのおだんごに結い上げたおばちゃん達が陽気にナニか仕事をしていて、その周りでは子ども達がじゃれあっていた。

おばちゃん達は、ワタシ達の頭をピンもゴムもナニも使わずに器用に結い上げてくれ、子ども達は森の妖精の様にワタシ達を取り囲んではしゃいだ。

旅の仲間が、何処かでジプシーの子ども達に囲まれて、注意をしていたんだけれども、結局ナニか取られていた、ジプシーの子どもに会うと必ず何でも取られてしまう、という様なハナシをしていたけれど、

ここの子等はワタシ達を取り囲みながら、笑いながらはしゃぎながら、なんと自分たちの身に付けていた首飾りやその他の装飾品を外して、ワタシ達を飾り付けてくれたのである。

飾りには、どれも綺麗な石がついていて、きっとサファイヤとかの宝石だろう、いくらスリランカが宝石で有名と言ってもそんなイイモノ頂くわけにはいかないと、

その子等とひとしきり遊んだ後、丁寧にあやまってその宝石類を子ども達に返し、ワタシ達はホテルに戻った。

ホテルに戻ってしばらくすると食事の時間になったので、ワタシ達は階下のレストランに降りた。

机にはきちんとクロスがかけられていて、銀食器が並んでいた。どうやら西欧スタイルで食事させてくれるらしかった。

やがてお魚料理が運ばれてきた。とっても美味しそう!約1ヶ月ぶりの落ち着いた食事。

さて、いただきます・・・と食事を口に運ぶのだけれど、二人とも何故かフォークを口に入れられない。

気を取り直してもう一度・・・やっぱり口に入れられない。

無理に口にいれるのだけれども、唇が閉じない。

一体、どうしたことだろう?

別にふざけているワケでは無いのだけれど、フォークを口に入れるとものすごい違和感があり、吐き気や目眩までして来てしまう。

この一ヶ月を振り返ってみると、ワタシ達はずっと印度の人と同じ様に右手(『印度浄、不浄』をご覧下さい)で食べ物をすくって食べていて、それもスープなど汁モノまでそれで食べられる位上達していた位だったから、その為なのだろうか?

どうやら「手」や「食物」以外の銀食器を、「異物」ととらえてしまい、どうしても口に入れられなくなってしまったみたいだった。

・・・ああ、そう言えば、これと似たようなハナシをワタシは聞いた事があったなぁ・・・。

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印度に来る前、ワタシは看護学校へ行きながら、看護婦見習いとしてある病院で働いていた。

ハナシはその時の先輩ナースから聞いたものだった。

その先輩が最初に勤めた病院で、あるとても不思議な症状をもった女の子が入院していた。その子は産まれた時から極端に体が弱く、原因も一切判らなかったのだそうだ。

確か、その子は生まれてすぐ入院していたと言う。そして色々調べた結果、その子の腸内に柔突起が全く無いという事がわかったのだそうだ。

柔突起とは、腸の内側の壁にあるひだの事で、人間はそこから栄養を吸収するのである。ところが、その子の腸の内側は柔突起がなくてつるつる。栄養を取り込もうにも取り込めない体だったのだ。

それでもその子は点滴とチューブの流動食で、ずっと入院したまま成長したそうだ。

で、その子が10才くらいになった時、症状が改善したのでお許しが出て、ある日食事をしてみようと言う事になった。

食事と言っても、なにしろ生まれて始めて食べるのだから当然お米つぶなんか見えない重湯だったそうだ。

それをナースがスプーンで一口、口に運んだとたん、その子は痙攣を起こしてスプーンを噛みしめたまま身体が硬直してしまったのだという。

それまで、食器という「異物」を一切口に入れたことが無かった為の拒否反応だったのだそうだ。

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・・・ワタシ達は、たった一ヶ月だけれども、彼女は10年間である。しかも異物を口に入れた経験が全く無い10年間だったのだから、拒否反応も大変なものだったのだろう。

「手で食べる」という行為は、慣れないと大分難しいし、又人によっては随分抵抗があるだろう。でも慣れてしまえば実はすごく心地良いことなのだと思う。(バックナンバー『印度キレイ、キタナイ』の注釈でワタシが言いたかった事はこういう事です。)

それはには第一に「これから口に運ぶものの安全を、まず、手で確かめられる」という利点がある。

人間は普通、無意識に食べ物を目で、鼻で、耳で、口で食べられるか食べられないか確認しているのじゃないだろうか。

つまり、5感のうちの4つの感覚を使って今から食べるところのものについて確かめているのだ。

ところが、食器を使わないで手を使って食べるてみると、そこに「触覚」が加わり、5つの感覚、全てで(食べても大丈夫だ)と確かめることが出来るのである。

ワタシの経験では、印度を旅している内にだんだんと手で食べる事に慣れて来て、そのうち汁でもなんでも右手だけで不自由なく食べられる様になって来た頃当たりから、

無意識に料理を「目で味わう」様に「手で味わう」様になって行った様に思う。

印度の人はカレーを食べる際、よくよくゴハン(特に南印度の人はよくゴハンを食べる)とカレーを混ぜ混ぜするのだが、

見ていると、食べ物をかんでいる時右手でゴハンをにぎったりこねたりしている事が多い。

これは汁気のあるものやパサパサのごはんを食べやすくすると言った意味合いもあるのだろうけど、ワタシはなんとなくあれは「手で味わっている」様な気がするのだ。

次に、先にも話した通り、手を使って食べれば口に食器という「異物」を入れなくて済む、という事がある。

これは実は大変重要な事の様にワタシは思う。

安心して、食べ物を食べる、という行為には素手が一番健全の様な気がするし、「食べる」という行為が一番身近に感じられる方法の様にも思う。

以前、フランス料理というのは、「食べる」という原始的で野蛮な行為をなんとか上品に出来ないか、という考えの元、発達したと何かで読んだ。

その為、素材が何か出来るだけ判らなくなる様に料理するのだそうだが確かに、フレンチのテリーヌなんかは何の素材を使ったのか、ぱっと見全く判らない。

この様に、「食べる」という行為のあさましさを究極まで遠ざけるべく発達した様式で食事をする際、

その料理を口に運ぶのに使う「道具」が、冷たい無機質の金属で出来たカトラリーだと言うのも、なんとなくうなずけるハナシではないだろうか。

そう考えると、お箸、というのは身内のひいき目ではないがとても理にかなっている食器の様に思える。

木、というのは食べ物に近いし、大昔では十分食料であっただろう。温度というか、ぬくもりもある。食べ物の質感もある程度はこまやかに伝わって来る。

でも、まぁ、手にかなうモノはないんだろうけれど

・・・ワタシ達の隣のお席では、印度から来たハネムーナーが美味しそうにカレーを食べていた。

ワタシと妹は、ホテルの人がせっかくワタシ達が外国人だからと気を利かせて絵の様に綺麗にお仕度してくれた、丸いきんびきの額縁に収まったお魚を前にしながら、

「ワタシ達もあっちのカレーでよかったネ」

言い合った。

モチロン、地元で揚がったお魚料理は全部美味しく頂いたのですが、ワタシ達姉妹はついついお隣のカップルの、右手元に目が行ってしまうのでした。


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