*エンデ遺言 」4/6 資本主義、マルクス。*
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■99.12.7 Tue 07:25 ■

ああ、もう年賀状の〆切早すぎだよ。
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 「モモ」でお馴染みのミヒャエルエンデは、どうやらマルクスの事を痛烈 に批判していたらしい。

 私が何度か同居していた父方の叔母は安保闘争で角棒かついでたって人で、 そんな訳で私が生まれた頃には、もうマルクスの本やら本田勝一やらが本棚 に揃っていた。

 実は、私はマルクスの著書を直接読んだことは無いけれど、関連図書を読 んだり叔母を始め色々な人と討論する事で、私なりに彼が言わんとしている 事は自分のことばで話せるようにしているつもりだった。

 そして、支持もしていた。マルクスが本当に言う様なことが実現できれば それは良いだろうと思っていた。加えて言うと、(崩壊した)ソ連、(統合し た旧)西ドイツ、中国・・・などなどの国々は社会主義、又は共産主義であ って、真のマルクス主義では無い、と私は認識していた。

 そんなワケで前回私が、「エンデ遺言 」を視た時は、少なからず(エンデ がマルクスを批判している事が)ショックだったし、何故、エンデがマルク スを批判するのかワケが判らなかった。

 その時の私には、エンデも、マルクスも、共に庶民の生活−「市民」を元 としたモノの考え方を奨励している様にしか見えなかったのだ。

 しかし、今回の「エンデ遺言 」でそのナゾがすっきりと解けた。

 前々回で私は「エンデ遺言 」で「イサカ・アワー」や「交換リング」の ルポルタージュの後、エンデが「資本主義の被害は結局は自然に廻ってく る」という様な事を言ったと記述した。

 その後、画面のエンデ役の役者は、こう言ったのだ。「資本主義には、 市民がやる資本主義と国家がやる資本主義とがあります・・・」

「結局、マルクスが言っているのは資本主義なのです。市民ではなく、国家 が資本主義をやるだけで、結局は資本主義なのです。」

 "目から鱗が落ちる"とはまさにこのこと。

 このことばは「何故エンデがマルクスを批判するのか」という答えだけで なく、今まで私が漠然と考えていた「(優れた考え方であろう筈なのに)何故、 マルクス主義は浸透しないのか」という問いにも答えが出た気がした。

5/6に つづく。