*「エンデ遺言 」5/6 資本主義、マルクス。(その2)*
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■99.12.9 Thu 10:08 ■

なんとなし、ちょーしワルっ。
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 マルクスの著書を読んでいない私には、マルクスの言っている事が全て エンデの言う通りかどうかは解らないが、ここ最近の過去、そして現在実在 する地球上の"赤いお国"の問題点は、ナルホド、そういう事(前回参照:国 家による資本主義)だろう。

 資本主義を国家がやる・・・つまり手前の商売を国が代行してやる・・・ "商売"なのに。少し考えてもその無理な感じはワカル。そんな世界では"平等 な分配"なんて絵に描いたモチだろう。手前の"売り上げ"がナニか(この場合 は国家)を通って来て「まんま」である筈がない。

 転じて、個人がやる資本主義にも先が無いという事がよりいっそうリアル に迫ってくる。(搾取の事は置いて置いても、前回までに言った通り)規模が 大きくても小さくてもいずれにせよ「拡大し続けなければならない」資本主 義は行き詰まってゆくだろう。

 「拡大し続けなければならない」というのは、これも今まで述べて来た通 り、何かを作り続けて売り続けて買い続けてそしてそのゴミを出し続けなけ ればならない。昨日より今日の方が新しいモノに囲まれて無ければならない。

 そうした「生活」は個々人には目に見えないストレスを与えるだろうし、 社会自体にもストレス・・・その語源の通り"ひずみ"を生じるだろう、今現 実に生じている、とワタシは感じる。  そういったしくみの中で一番打撃を受けるのが自然だ。自然はまず、資源 として削り取られ、そして最後は廃棄物によって汚染される。自然は有限だ から、手前の所の自然が少なかったり壊してしまったら、別の所から取って くる。戦争や"契約"という名の元に。

 こうした自然を使い捨てる様なやり方に一石を投じるのが、「イサカ・ アワー」や「交換リング」などの試みであろう。

 又、よしんばそういった手段をとらなくても、テクノロジーは、無いモノ を「別の所から取ってくる」事をもっともっと少なく出来る筈だ。それこそ、 日本の十八番(おハコ)と言えるだろう。

 農業で言えば、例えば水栽培法など安全で高収穫の研究は日夜進んでいる。 もう、南国の豊かな資源欲しさに戦争をしかけたり、安い労働力欲しさに その土地のルールと自然をめちゃめちゃにしたり、そういった事はそんなに しなくてもいいはずだ。

 そういった取り組みを一つ一つ大切にしていけば、日本の農業はもっと 頑張れる。内需も拡大するし、ひいては自給自足だって夢じゃないかもしれ ない。どこかの国から安くても危険な遺伝子組み替え食品なんかを無理矢理 仕入れなくても国民が「喰っていく」ことは出来る筈なのだ。

 なのに、そうならない。

 何故か。

6/6につづく。