* 南 国 の 猫 - 前 編 - *
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4コマ漫画 その日は、のっけからついてなかった。

マレーシアのペナン島のジョージタウン(についてはこちら『屋台のおもひで』にあります。)という街から、ここバトファリンゲという町まで、バスを乗り継いだ。この海の近い町に、なんで行ったのかはもう、思い出せない。

水着をもってた覚えもないし、第一、モスリム圏の国で、どこからみてもアジア人のワタシが、ウェスターニアの人みたく、肌も露に海水浴も無いものだと思うのだが、ともかく、その海の近い町までワタシは行ったのだ。

その町で、泊まる目星はついていた。
コタバルという街の宿屋で知合った、Kという関西人に、安い宿屋をあらかじめ聞いていたのだ。しかし、彼は決して"親切な人"というワケではなく、ワタシの留守中、ワタシの財布からにくい事に、TCやウォン、元、インドルピーといった、インフレなキャッシュを避け、米ドルの現ナマだけをきれいに抜いてくれたのだから。

そんな人の紹介で、コタバルを後にバトファリンゲを目指したのだから、幸先が悪かったのだろう。
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コタバルからペナン島までは、直通バスを利用した。トイレ付きの好いヤツだ。マレーの長距離バスは、グレハンのように、いい事が多い。しかし、ペナン迄は、山間の物凄い峠道だったのだ。バスは恐ろしいほど揺れ、ワタシはすっかり酔ってしまった。トイレにも行きたくなった。

吐き気と、尿意からトイレに行ったのがまずかった。
そこは、振られたサイコロの中か、もしくは、福引きの箱の中かというくらいによく揺れた。

あっちの壁から、こっちの壁へと、ワタシの体はトイレの壁にキャッチボールされ、とても立ってなどいられない状態。しかも壁に体が当たってかなり痛い。それで思わず座り込むと今度はよけいに酔ってしまった。おまけに今度はあまりの揺れのせいで立ち上がるコトすら出来なくなってしまったのだ。

恐らくタンクが一杯になってしまったのだろう、座り込んだ目の前にある便器はもう、今にも糞尿が溢れんばかりになっているし、水も断水だ。用を足すことなどとうに諦め、ともかく何としても立ち上がって、この箱から出ようともがいているのだが、どうしても立ち上がれない。

やっと、バスが止まって、休憩所についたが、そこの公衆便所は、15年前の日本の公衆便所より酷かった。
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やがてバスは、ペナン島が見えるところまで来た。
あとは、橋を渡るだけである。しかし、バスはターミナルのような所へ入り込んだ切り、橋を渡ろうとしない。このバスはペナンまでの直通バスのはずである。現地の人々は、降りたり、降りなかったりで、終点かどうかも解らない。

昨日、コタバルの観光局にいた、白人の老人夫婦が偶然同じバスに乗り合わせていたのだが、彼らも動揺している様だった。

旅してると不思議なモノで、別にお互い示し合わせたワケでもないのに全く別の場所で又同じ人とばったり再会したりするコトがある。例えば香港で出会った人と半年後に偶然ナイロビででっくわしたり、と言った具合だ。

この老夫婦とはペナンまで一緒で、その後、申し合わせたようにマラッカでも出会うのだが、老夫婦の態度は一貫してかたくなで、何故かいつもワタシを見てはにらんだ。

そうこうしているウチにやっとのことで、バスからフェリーに乗り換えないと、ペナン島へ渡れないことが解り、急いでバスを降りてフェリー乗り場に行くと、先程の老夫婦が、すましてそこに立っていた。

その老夫婦は、フェリーの甲板でもワタシが手摺りにもたれているところに割り込んできて、ワタシの体をこずいたりした。

ワタシはチベタン顔なので、大陸からのおこもさんに見えるのか、旅の途中、あちこちで邪険にされたりしたのだが、一体このおじいちゃまは、ワタシを日本人と知って、嫌がらせしているのだろうか?・・・だとしたら、日本人は、相当に嫌われている。

この日は、ジョージタウンに泊まり、翌々日、バトファリンゲを目指した。
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ジョージタウンから、バトファリンゲ迄は、呑気なローカル乗り合いバスだった。

もう海が見えるという所まで来たバスの中で、ワタシは(昨日の老夫婦とは又別の)白人のおじさんに頭をこずかれた。

しかも物凄い剣幕だ。こんな時は、ことばなんか通じ無くったって、何を言っているかは解る。どうやら、ワタシのリュックの紐が、原地人の彼の奥さんにあたったらしい。

東南アジアのバスは、何時も物凄く混んでいて、およそ人にぶつからずにはいられない。それでなくても彼らは普段から十分ゆとりがあっても押し合いへしあいしているのだから、もしかして人に当たるのが好きなんじゃないかと思うくらいなのだ。

モチロン、すぐにきちんと誤ったけれど、ワタシだってナニも人にかさりたく(←方言かな?触れるとか、さわるとかの意)なくたって、どうしたってかさってしまったんだし、ワタシ自身嫌っていう位押されているワケなので、不可抗力というか、フツ〜この国にいたらその位はお互いサマだとみんな思っていると思うのだけれども。

それに、タイ・マレー・インドネシアなどでは、人前で争う事は一般にタブーとされているのである。

余談だが、中国人はそれとは対照的に(人前でも)まず徹底的に口で喧嘩する。それで駄目なら、手が出、足が出、しまいにはビール瓶が割れ、中国包丁が出る。インド人だともっと穏やかで、人前で口喧嘩はするが、お互いの距離は遠い。

しかし、先の印度シナ3国(タイ、マレー、インドネシア)にあっては、人前で大声をあげる人はまずいなかったように思う。(インドネシアではそのタブーを破って、おばちゃんと大喧嘩してみたコトはあるが。女性が、思わずきぃっとなるのは、万国共通の様である。ちなみにそのおばちゃんとは、ちゃんと仲直りした。)

また、中国以西のアジアにあっては、依然としてまだ女性の地位は低く、(家畜と同じとの発言をするインドの女性もいる。)女性は男性に守られているものである。

そうした国にあって、女性であるワタシに、しかも人前で怒りをあらわにぶつけるこの白人のおじさんの所業は、明かかに奇異であった。

彼は謝るワタシに尚も英語で口汚くののしりながらワタシをこずいた。英語の殆ど解らないワタシであったが、その迫力にまけてはんべそをかくワタシをみて、当の彼の奥さんも困惑している。

見ず知らずの原地人のおじさんが、やさしく慰めてくれたのが、せめてもの救いだった。
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 そんなこんなでバスを降りたら、今度はバスの中で話し掛けてきた少年がワタシの後をついてくる。

『お家が、同じ方向なのかなあ。』なんてワタシは、どこまでものんきである。

しかし、彼は、ワタシの目的地である、華僑のおじいさんがほそぼそとやっている宿屋(というか間貸し)までついて来たのだ。それでもまだワタシは『なんだ。ここの家の子だったのか。』などと思い、本当にほげほげしていた。

やがて彼は、宿屋のおじいさんと何か言い争いを始めた。内容は紹介料をよこせのよこさないの、というハナシだった。なんとその少年は、海に近いこの街を訪れる旅行者に宿を紹介して、マージンをもらっていたのである。

道理で少年はワタシが、その華僑のおじいさんの所へ泊まるというと、そこはやめた方がいいの、違う所がいいのとうるさかった。おじいさんの所は、宿賃が安いのでおこぼれも少ないのである。

少年は、白いワイシャツに紺の半ズボンといった、身なりの良い小ぎれいな制服姿であったので、ワタシは全くそんなコトとは思いつかなかったし、彼自身もワタシになんのガイドもしてはいなかった。

そもそも、ワタシはKという人の紹介で、自力でこの宿(実際は家)まで来たのに少年が只後ろから付いて来ただけなワケだから、華僑のおじいさんが彼にお駄賃をあげるいわれはなかった。

おじいさんはすったもんだのすえ、少年と交渉を終え、次は、ワタシとの宿賃を取り決めなければならなかった。

おじいさんの宿は、実は、物置か、家畜小屋かという掘っ立て小屋で、安いのだけがとりえ、ここ何年かは、客足もぱったりの様で、どうやらKさんが巣くってた頃が宿屋としては、最後の命だったようだった。

おじいさんは、5ドルか、それ以下と聞いていた宿賃を案の定、8ドルと言ってきた。しかし、ワタシは極端に、持ち金の無い旅行者だったので、コタバルでお金を盗まれた事を説明し、なんとか現行どおりの5ドルにしてもらえるように頼んだ。

おじいさんは、ワタシが(金持ちであろう)日本人なので鴨葱のあてが外れたが、本当に他には利用者がいないらしく、結局5ドルで荒れ果てた小屋に通しててくれた。

 しかし、その小屋は本当に悲しくなるほど荒れ果てていた。

まず、小屋のなかは蜘蛛の巣だらけ。家具はベッドだけ。そのベッドが問題で、なんと、お手製なのだ。中に何が入っているのか解らないが、とにかく「何か」を農作業用風のビニール袋で包んでその袋と袋を縫い合わせてあるだけなのだ。脚も無けりゃ、シーツも無い。

ベニヤで造った壁には、万国の言語で日本のそれと共通のラクガキで一杯。入り口の板がどう云う訳だか雪見障子よろしく格子状になっている為、部屋(小屋)の中は蚊だらけで、5ドルでも高い感じ。

それでもチチャック(蜥蜴の仲間)の糞だらけのベッドに横になって、ビニール製のずだ袋とずだ袋をこれ又黒ずんだビニール紐でもってたぐりよせた半透明な縫い目を見ながら、その非常にほこりっぽい空気を吸い、壁の万国博覧会の性器を見てたら、何だか涙が出てきそうだった。

それでも何故かこころでは、

(おじいちゃん、宿賃値切ってごめんよ。)

と思っていた。

原地で買った、蚊取線香の安いやつは、蚊が来ると、蚊はよけるけれども、蚊は落ちない。

ワタシは、裸電球の下、

『どうかチチャックが沢山蚊を食べてくれますように。』

と願いながら、南国の夜の音を手探りしながら闇に落ちていった・・・


*4コマ漫画は、旅先でボールペンで下書きも無くがしがし描いたモノです(^_^;)。

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