* ウ ブ の 人 達 〜 前 編 〜 *
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前回、『ウブの夢−南国のおしし− 』でバリ島のウブという村の事を書いたのですが、その補足もかねて、もう少しウブの人達の事を書いてみようと思います。一応、前後編の予定です、が、後編がいつになるかは「神のみそ汁」、神のみぞ知る、ってさぶいですよネ。すみませんm(_ _)m。

さて、今までにもちょいちょいと書いて来たことなのですが、ワタシはそのウブという村のちょっと裕福そうなおウチの離れを宿屋にしたものに3ヶ月位おりまして、その離れはバリの伝統的なかやぶき屋根でとっても風情がありました。

夜になると「ケッコウ」と呼ばれるトカゲのオバケみたいな大きなヤツがそのかやぶき屋根の中で鳴き始めるのですが、その泣き方はまるでツクツクホーシが泣くときみたいに、最初ちょっと準備するんですネ。

・・・・(ジージーという唸る様な音と共に)ケタケタケタケタ・・・・という音がだんだん大きくなって行って、その最高潮に達すると『ケッコー!ケッコー!』って鳴くワケです。

その鳴き声はワタシの耳にもハッキリと「ケッコー!」と聞こえるワケで、そのトカゲの名前は後から聞いたのですが、(嗚呼、ウブの人にも「ケッコー!」って聞こえるんだなぁ)ってなんか、カンゲキしたのを覚えています。

借りていた部屋(というか一軒家)のお風呂はこれも何度も出てきますが、トイレ兼、行水場のマーンディと呼ばれるのが付いていまして、水溜には蛇口から井戸水が出て、とても快適だったです。(モチロン、お湯は出ません。)

この井戸が、庭に出て見たらトイレのすぐわきにあったんですよね。

東南アジア式のトイレというのは、水洗で、お尻も水で洗いますから、紙などの異物は流さないワケです。(紙を流すと詰まってトイレが壊れてしまうので要注意です!)んで、そのブツは何処へ流れていくかと言いますと・・・地中に埋められた大きなカメの中に流れて行くんだそうです。

そしてブツはそのカメの中で微生物によって素早く分解され(なにしろ、気温が暖かいですから分解には丁度良いワケです。)分解された後はカメの底に空いている穴から地中にしみ込んで行く、という仕組みになっているワケです。

そのトイレ脇にこのお宅の井戸がありまして、気のせいかちょっとお水がニオイました。まぁ、お水が匂ったので庭を調べたワケなので、気のせいでは無いような気もするワケですが、お水は透明で濁りもなくキレイでしたからモチロン、分解は完了しているのでしょうが・・・まぁ、そんなワケです。
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さて、このウブの村の人達はすごく仲間意識というか、仲間内というか郭っていうんでしょうかね、そういうのをとても大切にする人達でした。

モチロン、自分たちの社会にとても誇りと愛着を持っているのは言うまでもありません。その様子が、ワタシの母にそっくりだなぁ、というカンジがしました。(ちなみに、父と母はお互いの実家が2Kmと離れていず、同じ市内の人間同士のカップルです。)

母は免許を取ってから無事故無違反という優良運転手ですが、未だに自分が生まれ育った所以外、例えそれが隣の市であろうとも運転して行くのを嫌がりますし、ワタシの方言を常にチェックしていて、ワタシがちょっと方言と別の言い方をすると瞬時に「ここの人はそんな言い方しない」と違和感を訴えるのです。

そういうカンジが、このウブの人達にもすごくあって、いつかワタシがちょっとウブからジャワ島へ出かけて行って、ジャワ島のソロという所の名物菓子だという「スリン」(スリンというのは鉄琴状のガムランの名前、そのお菓子はそれにカタチを似せて作ってあった)というのを、このご厄介になっているおウチの子ども達に買って帰った事があったのですが、子ども達はいやぁなカンジで一口、口に入れるとやっぱりすぐに「いやー」って顔で口から出してしまいました。

ワタシもそのお菓子を食べてみたのですが、結構美味しいし、バリの人の味覚ともそれ程離れているカンジもしなかったので、この子等は、お菓子の味云々よりも「ヨソモノ」の食べ物に抵抗があったんじゃないかなぁ、と勝手に思っていました。

さて、もう一度自分の地元自慢で恐縮ですが、ワタシの帰省先には結構古くてかっちょいい山車が出るのです。山車には、太鼓やカネなどの楽器が乗っていて、山車の上でお囃子を演りながら山車を引くワケなのですが、そのお囃子の速さが地域によって微妙にというか全然違うんですね。各地域によって特徴があるんです。

例えば、母の生家の地域では、もぉねむたくなるほどゆっくりと奏でるのですが、別の地域になるとものすごい速さで演奏する。その為、山車が近づいてくると、どこの地域の山車か見なくてもスグに判るワケです。これは、母の子どもの頃から、そして今でも変わらず、その様子を見るとワタシはなんだかすごくほっとするのです。

そんな山車と山車とが、道で出会うと、御神輿みたいにぶつかりあったりはしませんが、向かい合って激しい演奏合戦をするワケです。モチロン、自分たちの演奏スタイルは変えずに熱のこもったお囃子になります。

山車はモチロン、その各地域の人しか演奏しないワケで、それはいくらお囃子の名手でも、ちょっと隣の山車で太鼓を叩く、というハナシは聞きません。

ウブの人のガムランも又同じで、絶対に自分のグループのガムラン以外のモノは叩かないそうです。

ジャワ島では、ガムランの演奏を観た後、ハシゴして別の開場でワヤン(影絵芝居)を観ると、さっきの開場で演奏していたおばちゃんが今度は別の人達に混じってガムランを叩いていたりしましたが、ウブではそういう事はありませんでした。

そういったジャワのおばちゃんの様な人は、もうそれが職業で、地域など超えてガムランを叩いている人達だと思うのですが、ウブではいくらお金を取って観光客用に見せる為の演奏でも、その地域のグループ以外の人と演奏する、という事は無かった様です。

ガムランという楽器自身も、一セットを一人の人が全て一人で作っているそうで、それはつまり各楽器の調律が、そのセットではそのセットだけでしか合わない様になっているのだそうです。

ですから、例えばギターの様に、各自のギターを持ち寄って一緒に演奏する、という事は出来ないワケです。その地域のガムランは、その地域の中だけでしか調和されないオープンチューニングなのです。

その為、別の地域の人と合わせてセッションする、という事がガムランにはあり得ないし、その前にみんな各地域のガムランとその演奏とに親しみと誇りを強く持っている為、自然、お隣のガムランとはライバルなワケです。

そのヘンの帰属意識が、ワタシにとってはなんかなつかしいというか、自分のトコの山車がやっぱり一番だと強く信じている母の姿と重なって、なんかとても微笑ましかったです。
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さて最後に、前回、ワタシはそんなウブの人達の事を「昼はそれぞれの仕事をし、(夕方になると)お祭りにやってくる」と言うような事を書きましたが、正しく言うと(少なくてもワタシのご厄介になっていたおウチの人達は)昼間はお昼寝していた様です。

ウブの気温は如何にバリの中では高原とは言え、やはり暑く、昼間働くのには向かないのです。その為、ウブの人達は朝の5時にはもう働いていて、一番気温の上がる昼下がりにはお昼寝、という生活スタイルみたいです。

いつかワタシが用事があって昼下がりに母屋に訪ねて行くと、軒先のハンモックでご夫婦が仲良く一緒に横になっていて、それを見られたおばちゃんは酷く慌てて、済まなかったなぁと思いつつも(なんか、イイなァ)とうらやましかったのを覚えています。

ウブの村の人達の生活は、日本の前近代的な農村の暮らしとしごく似ているけれど、日本のそれと違って全体的に何処か余裕が感じられるのです。それって、やっぱり年に一回しか米が取れないのと、年中、蒔けば米が取れるのとの違い(*)なんだろうなァ、と、なんとなく思ったワタシでした。

(*)この『余裕の違い』について、その後大学に入学してから(日本の前近代の農村社会とバリの農村社会の事を共に)もっとちゃんと調べた所、色々と興味深い事が判ったのですが、それは又、その機会があった際にでもご紹介できたらなァ、と思っております(^-^)。